1945年8月15日にラジオから流れる天皇の声(玉音放送)を聴いて、本気で切腹しようとし、翌年正月に天皇が「人間宣言」をした時には心底腹が立ったという、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんですが、体格や音楽でアメリカに圧倒されていることに気づき、まずは体を鍛えることに没頭したといいます。

「篠田正浩は少年時代「天皇の人間宣言」に大きなショックを受けていた!」からの続き

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終戦後は日本国中が大混乱していた

それまで、天皇を神様だと教えられ、アメリカに占領されたら潔く天皇陛下にお詫びするために切腹しろと、切腹の仕方まで学校で教わってきたのが、

1945年8月15日、突然、天皇がラジオで戦争に負けたことを発表(玉音放送)したことから、日本国中が大混乱したそうで、学校も学生のテロを恐れ、しばらくは夏休みが延長されたそうです。

そして、学校が再開された後も、混乱は続いたそうで、翌年の1945年正月に天皇が「人間宣言」をすると、すぐに授業は西洋史に切り替わったそうですが、

歴史の先生は、

これまで間違ったことを教えて申し訳ない

と、頭を下げ、

国語の先生は、

これからの日本はどのようにしたらいいか。天皇制がなくなった以上は・・・

と、呆然としていたといいます。

(ちなみに、篠田さんは、「選挙で大統領を選んで共和制にしたらどうですか」と発言したそうですが、周りの生徒は、共和制の意味さえ分からずぼんやりしていたそうです)

中学3年にして「国のための切腹」と「論語の教え」のどちらが正しいか話していた

また、ある時には、

論語」には、

身体髪膚、之ヲ父母二受ク。 敢ヘテ毀傷セサルハ、孝ノ始メナリ(体はありがたい両親から頂いたものだから、むやみやたらと傷つけないようにと心掛けるのが孝行の始まり、という意味)

と、あることから、

それまでの「国のために切腹する」という教えと、「体を傷つけてはいけない」という論語の教えと、どちらが正しいのだろうと、同級生と切腹について話をしたことがあったそうですが、

篠田さんは、そんなことを、当たり前に中学3年生が話していたことが、戦後、日本が生き延びる力となったのだと、語っています。

敗戦原因はアメリカ人との体格差と考え、体を鍛えるべく陸上に打ち込む

しかし、当の篠田さんというと、モラトリアムに入ったそうで、学問を一切蹴り、ひたすら陸上競技に打ち込んでいたといいます。

(※モラトリアム(moratorium)とは、「しばらくの間やめること」で、知的・肉体的には一人前に達していながら、なお社会人としての義務と責任の遂行を「猶予されている期間」、また、そういう心理状態に留まっている期間)

というのも、篠田さんは、もともと、学校で足が一番速かったこともあったそうですが、なぜアメリカに負けたかを考えた時、白人兵や黒人兵の体格の大きさに圧倒されたことが原因だと感じたそうで、陸上で体を鍛えようと思ったからだそうです。

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音楽でもアメリカに圧倒されていた

また、ある時、戦前に通っていたレコード屋が再開したと聞き、訪ねると、グレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)」という曲が聴こえてきたそうですが、

それまで、軍歌や沖縄の古い民謡「安里屋ユンタ」しか聴いたことがない篠田さんは、

どんな楽器からこんな音色が出るのか

と、そのアンサンブルに驚き、

こんなスイングで彼らは戦争していたのか

と、白人兵・黒人兵の肉体の大きさ同様、スイングのサウンドにも打ちのめされたそうで、

天皇の人間宣言はものすごく観念的なものだったけれど、耳から入る音楽の官能性に圧倒されました。

と、語っています。

「篠田正浩は幼少期に「民族の祭典」を観て衝撃を受けていた!」に続く

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