幼い頃からフィルムなど映画に慣れ親しみ、小学3年生の時には、記録映画「民族の祭典」を観て衝撃を受けたという、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんですが、その後、黒澤明監督作品「姿三四郎」を観てさらなる衝撃を受け、そのうえ、映画を観ることが禁じられたことで、ますます映画の虜になっていったといいます。

「篠田正浩は幼少期に「民族の祭典」を観て衝撃を受けていた!」からの続き

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黒澤明監督作品「姿三四郎」で衝撃を受ける

自宅の映写機に付録としてついていた、ディズニーの短編アニメーションに始まり、小学3年生の時(1940年頃)には、レニ・リーフェンシュタール監督のべルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」(1936)を観て、衝撃を受けたという篠田さんですが、

その後、中学生になると、映画を観ることが禁止されたそうで、篠田さんが中学校を受験し合格した時、映画好きだったお母さんが、映画の見納めということで映画館に連れていってくれたそうです。

(実は、「民族の祭典」では、冒頭で、十数人の全裸の娘がつぼみから開花までのシチュエーションを表現しており(ヌーデイズム)、その後、性を早く目覚めさせてはいけないと、映画を観ることが禁止されたそうです)

その映画というのが、黒澤明監督作品「姿三四郎」(1943)だったそうですが、これを観て、文学なんかどうでもいい。映画の力というのは物凄いものだと感じたそうです。

映画を観ることを禁止されて余計に映画に夢中に

それで、その後、公開された続編「續姿三四郎」(1945)もどうしても観たくなり、防空頭巾を被り、お父さんの老眼鏡をかけて、夜陰に紛れて映画を観に行くと、そこでは、マキノ正博監督の「織田信長」がやっていたそうですが、

いよいよクライマックスの「桶狭間の合戦」の場面になると、パッと電気がついて、「今、警戒警報が発令されました。この続きは、半券をお持ちになれば明日でも観られます」というアナウンスが入ったそうで、最後まで観るために3回くらい映画館に通ったそうですが、

この、観れないとなると余計に観たくなるような経験が、ますます篠田さんを映画に夢中にさせたそうです。

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映画は文学の下風ではないと感じていた

そんな篠田さんは、終戦後は、イギリスのキャロル・リード監督作品「邪魔者は殺せ」を観て、元MI6(現SIS = 英国秘密情報部)である原作者のグレアム・グリーンに興味を持ち、イギリス映画に興味を持つと、

同じくイギリスのデビッド・リーン監督作品「逢びき」を観て、その映画音楽のラフマニノフのピアノコンチェルトをそのままレコード屋に買いに行ったほか、

ジュリアン・デュヴィヴィエやジャック・フェデーといった、フランス人監督の作品などヨーロッパの映画を好んで観たそうですが、

何より、作家のグレアム・グリーンと映画監督のキャロル・リードの関係から、映画は文学の下風ではないということを感じたそうで、この中学、高校での映画体験は、後に篠田さんに大きな影響を与えたそうです。

(当時は、娯楽が少なく、同世代の若者たちはみな熱狂的に映画に魅了されていたそうで、篠田さんだけが特別に熱狂的な映画ファンだったという訳ではなかったそうです)

「心中天網島」を観て早稲田大学進学を決めていた!」に続く

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