中学・高校の時には、イギリスやフランスのヨーロッパ映画を好んで観ていたという、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんですが、ある時、お母さんに連れて行ってもらった、歌舞伎の舞台、近松門左衛門の「心中天網島」を観たことで、自身が何を求めていたのかに気づいたといいます。

「篠田正浩は少年時代に観たヨーロッパ映画に大きな影響を受けていた!」からの続き

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歌舞伎・近松門左衛門の「心中天網島」を観て衝撃を受ける

中学・高校の時、ヨーロッパ映画に夢中になっていたという篠田さんですが、中学5年生(旧制中学校 = 現在の高校1年生)の時には、お母さんに連れて行ってもらった、近松門左衛門の「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」を観て衝撃を受けたそうです。

というのも、劇中、主人公の二人が遊郭で揉め事を起こしてそのまま逃げ出してくるシーンがあるのですが、そのままの姿ではなく、花道にかかったら紋付羽織の正装で出てきたそうで、篠田さんは、これを見て、日本の神風特攻隊が白いマフラー(正装)をして出て行くのを連想したのだそうです。

つまり、日本人は、ずっと昔から、”いかに生きるか”ではなく、”いかに死ぬか”を教えられていたのですが、日本の歌舞伎、能を勉強すれば、なぜ日本人が負けると分かっている戦争をしたのか、どんな論理的な説明よりも、その情念というものが理解できるのではと思ったのだそうです。

演劇と陸上のために早稲田大学に進学

こうして、篠田さんは、演劇を勉強するための大学として一番有名で、なおかつ、陸上の学生大会で数多くの優勝を飾っていた早稲田大学に進学したそうで、

早速、歌舞伎について論文を書こうと勉強を始めると、近松門左衛門をはじめ、中世から近世の日本芸能史が死者を扱っていることや、歌舞伎における生と死の問題など、日本の演劇は”非業の最期を遂げる悲劇的な主人公たちのお葬式”という特性を持っていることに大変興味を持ったそうですが、

その資料は早稲田大学の演劇博物館のものだけでも、読むだけで人生が終わってしまうかと思うぐらい膨大な量だったそうで、到底、大学の4年間で論文には出来ないと思ったのだそうです。

(それでも、篠田さんは、後に、この「心中天網島」を映画化した、「心中天網島」を発表しています)

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映画「第三の男」に感動

そんな中、新宿をふらふらしていると、キャロル・リード監督の「第三の男」という映画が上演していることを知り、観に行ったそうですが、

劇中、俳優のオーソン・ウェルズが、ウィーンのプラター公園の観覧車に乗り、観覧車が一番上に来た時のセリフ、

ほら、人間豆粒だろう

あの小さな点が永遠に動かなくなっても何も感じないだろう

に、なんと見事に人間の悪が描かれているかと感動したそうで、

その日のうちに演劇の担当教授のところに行き

映画の論文に切り替えてよろしいでしょうか

と、変更を願い出て、卒業論文は、この「第三の男」を書いたのだそうです(笑)

「篠田正浩の早大時代は箱根駅伝で2区走者として準優勝に貢献していた!」に続く


「第三の男」より。オーソン・ウェルズさん。

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