お母さんの暴挙が病気のせいだとわかったことで、これまでお母さんをひどく憎んでいたことを後悔し、自責の念にかられたという、安藤和津(あんどう かず)さんは、その反動で、これからはお母さんを大事にしたいと思うようになったそうですが、その生活は超ハードだったといいます。
母親を憎んだ後悔から母親が喜ぶことをするように
お母さんが、「脳腫瘍が原因の老人性うつ病と認知症」と診断され、これまでのお母さんの悪魔のような仕打ちが、病気のせいだとわかった安藤さんは、お母さんを憎んでしまった後悔から、お母さんが一番喜ぶことをしようと思ったそうですが、
まずは、食べること、孫の声を聞くこと、孫の成長を見ることが思い浮かんだそうで、お母さんが喜んで箸をとってくれることを目標に、たくさんの料理(小鉢)を作ると、
そんな安藤さんの気持ちがお母さんに通じたのか、それまでは、うまく操作ができないとイラッとしてリモコンを叩きつけていたのが、1ヶ月も経たないうちに投げつけなくなったそうです。
また、それまで、朝、顔を合わせると、煩(わずら)わしく思いながら、「おはようございます」と言っていたのを、今日も生きててくれてよかったと思いながら言うようにすると、お母さんは(自分がみんなから大事にされていると感じたのか)穏やかになっていったのだそうです。
自宅で母親の介護をするも超ハードな毎日
とはいえ、「脳腫瘍」で脳の機能が低下したお母さんは、体内時計が狂っていて、朝食が明け方の3時半か4時くらいだったことから、その時間に朝ごはんを作らなければならなかったそうで、
安藤さんは、お母さんに朝食を食べさせると次はトイレに行かせ、それから、子供の朝食とお弁当の用意をし、子供を起こして学校に送り出し、その後、自分が仕事に行く準備をする、という超ハードな毎日で、ほとんど寝る時間がなかったといいます。
(その名残で、今でも2時間で目が覚めるのだそうです)
誰もいないキッチンで叫んでいた
そんな中、夫の奥田瑛二さんは、料理は手伝ってくれたそうですが、義理の母親のオムツを替えさせるわけにはいかず、家族からのサポートには限界があり(娘たちも学校があったため)、やはり自分がやるしかないと思ったそうですが、
それがマイナスのスパイラルの始まりだったそうで、疲れと睡眠不足の中、より自分の仕事にもプレッシャーがかかり、どんどんドツボにはまっていったそうです。
(そのため、安藤さんは、誰もいないキッチンで、1人で何回叫んだか分からないほど叫んだそうです)
母親の在宅介護にこだわった理由とは
それでも、安藤さんはそんな生活をずっと続けていたそうですが、4年ほどすると、お母さんは寝たきりになり、ほとんど会話もできなくなって、ものを飲み込む力も弱くなり、口から食べることができず、鼻から管を通して栄養を摂取(経管栄養)しなければならなくなったそうで、
安藤さんが仕事に行っている時間と朝の2時間はヘルパーさんに依頼したそうですが、それ以外の時間は、安藤さんが経管栄養と2時間起きの痰(たん)の吸引をしたそうで、ますます、寝る時間がなくなったそうです。
それでも、安藤さんは、
母の愛情を受けていたからこそ、私も母に愛で返さなきゃいけないという気持ちがすごく強くて。
自分の身を削ってでも、母に自分のできることをやりたいという気持ちになってしまったんです。
と、在宅介護にこだわったのだそうです。
「安藤和津は「介護うつ」で幻覚や幻聴が起こっていた!」に続く
安藤さん(左)と母・昌子さん(右)。