若い頃は料理店を切り盛りして、女手一つで大家族を養い、お店を辞めた後も、明るく面倒見が良かったお母さんが、次第に、怒りを爆発させては家族に当たり散らすようになると、特に当たりの強かった、安藤和津(あんどう かず)さんは、耐えかね、日に日にお母さんに憎悪を募らせるようになったといいます。

「安藤和津が母親の異変に気づいたのは腐った弁当だった!」からの続き

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敵対心むき出しの母親に憎悪を募らせるように

お母さんの異常な言動が次第にエスカレートし、特に、娘であることから理不尽な怒りをぶつけられたという安藤さんは、さすがに、この人は本当の親なのだろうかと自問自答するようになったそうで、やがては、自分へ敵対心むき出しのお母さんの態度に憎悪を募らせるようになっていったそうです。

(お母さんの言動は凶暴性も伴うようになっていったそうです)

そして、お母さんの過去の良かった思い出までもが全て消え去り、

あんたのせいで家族の関係にもひびが入りそうだ

あんたは悪魔だ!クソババア死ね!!

などと、何百回とトイレの中で毒づくようになったそうで、

安藤さんは、後に、

姑なら親しい友達に悪口も言えますが、私の親ですから、誰にも心の丈を打ち明けられない。実の母をこんなに憎んで、いったい何の因果かと思いました

と、語っています。

(なぜか、お母さんは、いつしか安藤さんの自宅に入り浸るようになっていたのだそうです)

母親を見捨てることは出来なかった

こうして、そんなお母さんとの暮らしに耐え難くなっていったという安藤さんですが、やがて、安藤さんだけでなく家族全員がお母さんのことを疎ましく思い始め、同居はもう無理かもしれないと考えるようになっていったそうで、

夫の奥田瑛二さんからは、

もう一緒に暮らせない。お義母さんから離れよう

と、言われたそうですが、

いざ、そう言われると、お母さんに女手一つで育てられた安藤さんは、お母さんとの結びつきが強く、どこかで、お母さんに強く依存していたのか、

ママを残してこの家を出たら、さぞや寂しい思いをさせるだろうな

と、ためらったのだそうです。

母親が「脳腫瘍が原因の老人性うつ病と認知症」と診断される

そんな中、1998年、お母さんを病院に連れて行き、脳の検査をしてもらうと、脳腫瘍が見つかり、「脳腫瘍が原因の老人性うつ病と認知症」と診断されたそうですが、

その脳腫瘍はテニスボールほどの大きさで、なんと20年以上も前にできていたことがわかり、医師からは、明日、亡くなってもおかしくない状態であることも告げられたのだそうです。

(実は、これまで、何度か病院に連れて行こうとしたことがあったそうですが、お母さん本人が頑なにそれを拒んだほか、主治医にも3回ほど相談するも、「親の愚痴を言うな」と言われて、全然取り合ってくれなかったのだそうです)

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暴挙が病気のせいだと知り母親を憎む気持ちが変化していった

すると、それまでに、お母さんへの憎悪がピークに達し、お母さんのことを本当に悪魔のような存在だと思うようになっていた安藤さんは、お母さんが悪魔なのではなく、病気のせいだったと分かり、ホッとしたそうですが、

同時に、お母さんを憎んでしまった自分を責める気持ちと後悔も押し寄せてきたそうで、(医師からは「明日、お母さんが起きてきたら神様からのプレゼントだと思ってくれ」と言われたこともあり)やがて、一日一日を大切に、お母さんに1分でも幸せな時間を過ごしてもらいたい、という気持ちに変化していったのだそうです。

「安藤和津が母親の在宅介護にこだわった理由とは?」に続く

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