すっかり、ドラムに夢中になったという、愛川欽也(あいかわ きんや)さんは、ドラマーとしてアルバイトまでするようになったそうですが、ギャラが良かったこともあり、すっかりアルバイト中心の生活になり、「俳優養成所」の授業はおろそかになったそうで、次々と同期や後輩に抜き去られていったといいます。

「愛川欽也は「俳優養成所」時代ドラムに目覚めていた!」からの続き

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バンド(ドラマー)のアルバイトはギャラが高額だった

「俳優養成所」の友達に誘われて観に行ったダンスホールで、たまたま、ドラマーに欠員が出たことから、ドラムのところに座っているだけでいいからと、バンドに参加するよう頼まれたことがきっかけで、ドラムに夢中になったという愛川さんは、

その後、キャバレーやストリップ劇場でバンドのドラマーとしてアルバイトを始めると、天性のリズム感の良さで、メキメキとドラムで頭角を現したそうで、いろいろな人から誘われて店を移ると、そのたびにギャラが高額になっていったそうです。

(当時、日本は朝鮮戦争の影響で景気が良く(特需景気)、キャバレー全盛の時代だったため、アルバイトでバンドマンになった愛川さんは仕事に不自由しなかったそうです)

母親に頼りきりの生活が続いていた

とはいえ、稼いだお金は、自分のことだけに使っており、「俳優養成所」の月謝や小遣いは自分で賄っていたものの、家賃や生活費を負担することはなく、お母さんに頼りきりの生活はまだ続いていたそうで、

お母さんは、相変わらず、家政婦や食堂の手伝いをして働いていたそうです。

(この頃、愛川さんとお母さんは、ようやく、東京・巣鴨に戻ることができたそうですが、生まれ育った巣鴨の家は空襲で焼けてしまっており、まるで違う住まいのせいか、あまりなつかしいとは思わなかったそうです)

「俳優養成所」では浮いた存在になっていた

また、愛川さんは、生活がすっかりアルバイト中心になり、「俳優養成所」の授業がおろそかになっていったほか、派手な服装で養成所へ行くようになったそうで、

もともと地味な高校生だった愛川さんが、大柄なチェックの背広を着て、休憩時間に庭でラッキーストライク(タバコ)の煙をくゆらせている姿を見て、

アルバイトでどうかしちゃったんじゃないのか

と、愛川さんの羽振りの良さに眉をひそめる者や、陰で笑う者もいたそうで、愛川さんは、養成所の中でも浮いた存在になっていったのだそうです。

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「俳優養成所」では同期や後輩が次々と飛躍を遂げていた

そして、愛川さんがアルバイトに熱中している間に、後輩の研究生が愛川さんよりも良い役をもらってデビューしたり、同級生の小沢洋一さんがオニールの舞台「ああ荒野」で主役に抜擢されるなど(小沢さんは、その後、映画の主役にも抜擢されたそうです)、目覚ましい活躍を見せたそうですが、

愛川さんはというと、俳優としては一向に芽が出ず、「俳優養成所」の中でも目立たない生徒になっていったのだそうです。

(この頃、愛川さんは、ドラムのアルバイトを辞めたそうです)

「愛川欽也が若い頃は本屋も経営していた!」に続く

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