80代となった現在も、バラエティ番組などで元気な姿を見せている、徳光和夫(とくみつ かずお)さんですが、実は、60歳の時には、「急性心筋梗塞」で緊急手術を受けていたといいます。

「徳光和夫とミッツ・マングローブの関係とは?」からの続き

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胃袋がつかまれるような痛みを感じる

徳光和夫さんによると、その日(2001年、60歳の時)、茨城県でのゴルフに参加するために、奥さんと一緒に東京のホテルに泊まっていたそうですが、夕方、胃袋あたりをぎゅっとつかまれる感覚を受けたそうで、貝にでもあたったかと思ったそうですが、痛みは強くなる一方だったそうです。

そこで、奥さんに言うと、奥さんから水を飲むよう言われたそうで、奥さんの言うとおりに水を飲み、ひとまず、様子を見ることにしたのだそうです。

(奥さんはおばあちゃんから「お腹をこわしたら水を飲みなさい」と言われて育ったのだそうです)

救急車では冗談を飛ばしていた

そして、翌日、ゴルフを断り、奥さんとともに病院へ行くと、院長先生が不在だったことから、急遽、循環器内科医の診察を受け、心電図を撮ると、「心筋梗塞」であることが判明。徳光和夫さんは、救急車でさらに別の大きい病院に搬送されたのだそうです。

ちなみに、徳光和夫さんは、その時のことを、

でも元気なんですけどね。(救急隊が)『首都高速入れ!』って言っている時に、『心筋梗塞(心筋高速)じゃないんですか?』と言ったり。でも笑いも起こらなかった。

と、語っています。

急性心筋梗塞で緊急手術をしていた

すると、搬送先の病院の検査では、心臓の冠状動脈が完全に詰まっていることが判明したそうで、ちょうど「心筋梗塞」の患者にカテーテル治療をし終えたばかりの医師たちが偶然居合わせたことから、すぐに緊急手術してもらい、その後、ICU(集中治療室)で、3日間、24時間体制の治療が行われ、一命を取り留めたそうで、

徳光和夫さんは、

部分麻酔なので、カテーテル治療のさまが見える。先生も「これが血管ですよ」と教えてくれたりして。最初、その血管は霧の中にある枝葉のように見えました・・・まるで深い森に濃い霧がかかっているかのよう。

それが治療をするにつれて、霧が晴れてきた。自分の毛細血管の先まで見えるようになったもんだから「これで大丈夫だ」と確信しました。

と、語っています。

生存率40%も幸運が重なり助かって一命を取り留めていた

ただ、実は、この時、発作から16時間経過していたことから、生存率は40%ほどしかなく、あと少しでも治療が遅れていたら、死亡していた可能性が高かったそうで、

徳光和夫さんは、

かみさんがいなかったら僕、死んでいたでしょうね。発症から16時間ですから。そのまま救急車に乗せられて病院へ運ばれたら、たまたま同じカテーテル手術をしたばかりのスタッフが、そのまま(手術を)やってくれた。運とかありますよね。

と、語っています。

(奥さんから大量に水を飲まされたことで詰まった血管が少し開き、血液が流れていたそうです)

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手術後は禁煙に取り組むなど健康に気を遣うように

ちなみに、当時の徳光和夫さんは、週6本のレギュラーを持っていて、休みはなく、睡眠時間は4~5時間、タバコは1日100本以上、食事は、魚介類の肝や卵、天ぷらなど、カロリーの高いものばかりと、不摂生を絵に描いたような生活をしていたそうですが、

お父さんが103歳、お母さんが93歳と長寿だったため、多少の不摂生をしても、長寿のDNAがあれば大丈夫と自分に言い聞かせていたとのことでした。

(もちろん、その後は、禁煙に取り組むなど、健康に気を遣うようになったそうです)

さて、いかがでしたでしょうか。

徳光和夫さんの

について、まとめてみました。

(一番大事にしているものは)人でいえば、妻ですね。脱サラするか迷っていたのを後押ししてくれたのも、家庭をしっかり守ってくれたのも、すべて彼女のおかげ。

わがままな私を、自分を犠牲にして支えてくれました。妻孝行という言葉さえも憚(はばか)られるくらい、感謝してもしきれません。できる限り寄り添っていきたいです。

なんといっても「オール3」、いや平均点以下だった私がこうしていられるのは、自分が努力したということではなくて、実は身近な人の力が大きい。年を重ねて、はっきりとそれがわかりました。

と、語っていた徳光和夫さんですが、いつもニコニコと、明るく、真正直な徳光和夫さんだからこそ、周りの人が手助けしたいと思うのかもしれません。

近年は失言などで批判を浴びることも多い徳光和夫さんですが、これからも、まだまだ軽快なトークを聞かせてほしいものです。

「徳光和夫の父親は日本テレビ開局社員!記録映画監督も!」

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