深夜ラジオ番組「セイ!ヤング」で人気パーソナリティーとなるも、28歳の時には番組を降板させられ、営業部に配置転換させられたことで、34歳の時には、文化放送を退社し、お父さんの経営する会社「日国工業(ニッコク)」で営業周りをしていたという、みのもんたさんですが、その後、「プロ野球ニュース」の中のワンコーナー「珍プレー」で、再び大ブレイクを果たします。

「みのもんたが若い頃は「セイ!ヤング」で人気も降板させられていた!」からの続き

Sponsored Link

「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」で再ブレイク

1979年に文化放送を退社した後は、お父さんが経営する水道メーター製造販売会社「ニッコク」で営業周りをしていたという、みのさんですが、

そんな中、フジテレビに声をかけられ、1980年、「プロ野球ニュース」の中のワンコーナー「珍プレー」(不定期)でナレーションを担当するようになったそうです。

また、フジテレビでは、雨が降って野球が中止になった際には、もともとメジャーリーグを流していたそうですが、それが英語の実況だったため、みのさんは、何がなんだか分からず、その映像に合わせて内輪で適当に声を充て、(スポンサーがサントリーだったことから)缶ビールを飲みながら、今では絶対に言えないようなことなどをバンバン言っていたところ、これが、視聴者に大ウケしたそうで、

1983年11月には、この「珍プレー」が、「プロ野球ニュース」のワンコーナーから、「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」として特番化。

すると、初回から高視聴率を記録したそうで、みのさんは、ナレーションで笑いを誘うという演出を確立し、一躍、ブレイクを果たしたのでした。


「プロ野球ニュース」より。

「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」は毎回高視聴率を記録

その後、この「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」は、1985年には、年に2回の特番となり、1987年からは、司会が(プロ野球ニュースと同じ)佐々木信氏から、島田紳助さんと板東英二さんの2人体制となっているのですが、ナレーションは引き続き、みのさんが担当すると、毎回、高視聴率を記録しており、

コラムニストのナンシー関さんは、

100%純正のみのもんたの結晶

型がない。まるでフリージャズ

と、みのさんのナレーションを絶賛しています。

(他局でも、これをマネて、同じような企画の番組が次々と放送されたそうです)

シンプルな言葉と緩急で巧みに人物の心情を表現していた

そんなみのさんは、「さぁいらっしゃい」「アァッ! もうやめてっ!」「俺を誰だと思ってるんだ」「星野だぁ~」など、シンプルな言葉で間と緩急をつけて巧みに人物の心情を表し、映像を引き立てているのですが、

みのさんは、

珍プレーがなんで面白いのかっていうと、やっぱり選手がマジメに一生懸命やっているから余計に面白いんだよね。あれは狙ってできるものじゃありませんよ。

瞬間瞬間にその選手の気合と、素質と、やる気、そんなものが体ごとぶつかって生まれる。そういう姿が人間として共感できるから面白いんですよ。

だから僕もその瞬間の言葉をぶつけてきました。当時は自在に反応ができていましたからね。今も『ナゼやらないんですか?』という声を頂きますが、僕は『できないからです』と正直に答えています。

もう反射神経が鈍っちゃいましたからね。ただ、珍プレーは僕だけのものじゃない。いろんな人のいろんな形があっていいんです。主役はあくまでも選手のプレー。楽しみ方はひとつじゃありませんからね

と、語っています。

Sponsored Link

「珍プレー」という言葉は中日・宇野選手のヘディング事件がきっかけで誕生

ちなみに、この「珍プレー」という言葉は、1981年8月26日、後楽園球場で行われた中日対巨人戦の7回裏2対0、巨人の山本功児選手がショート後方に打ち上げた打球を、中日の宇野勝選手がおでこに当てたことがきっかけで誕生したそうで、

(宇野選手のおでこに当たったボールは、当時の子供たちが「おでこからミサイルが発射された」と勘違いするほどありえない跳ね方でレフト最深部へと飛んで行ったそうで、この出来事は、「宇野のヘディング事件」と呼ばれています)

みのさんは、

さぁご覧頂きましょう。この打球の行方。お馴染み宇野さんが、そのボールの真下でごつーん・・・ボールは大きく弾いて転々と。宇野さんのおでこっ! 大丈夫ですか、宇野さん。強いおでこね!

と、ナレーションしています。

「みのもんたは「午後は○○おもいッきりテレビ」で主婦の教祖的な存在だった!」に続く


「中日・宇野選手のヘディング事件」。左が宇野選手。

Sponsored Link