国立劇場にスター役者の必要性を感じていたという伊藤信夫さんは、紆余曲折の末、ついに、国立劇場が開場して1年ほど経った頃、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんに白羽の矢を立てたといいます。

「坂東玉三郎の仕掛人は伊藤信夫だった!」からの続き

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国立劇場は「劇場」と名のつく「役所」だった

国立劇場の開場に先立ち、東京宝塚劇場(東宝)から来た伊藤信夫さんは、東宝同様、国立劇場からもスターを売り出したいと、様々な計画を練るも、そのどれもが無理のあるものばかりだったそうで、

何より、国立劇場自体が、劇場とはいえ、本質的には役所だったそうで、伊藤さんがこれからやろうとしている、国家をあげてスターを生み出すという仕事は、本来、国の仕事ではなく、

誰かにこの計画を打ち明けて協力を求めたところで、誰にとっても何の得にもならないことから、協力は望めなかったそうです。

計画は国立劇場ではなく伊藤信夫個人によって立てられていた

そこで、伊藤さんは、自分一人でやることを決意したそうですが、それは、役者の側からすると、国立劇場ではなく、伊藤さんを信じてついていくことを意味しており、

国立劇場が組織として売り出してくれるのではなく、伊藤さんに与えられた役で一つ一つ実績を積んでいく、という地道な作業についていくということだったそうで、

伊藤さんは、

そんな悠長で計画ともいえない計画につきあってくれる役者がいるのだろうか

と、悩んだそうです。

伊藤信夫に白羽の矢を立てられる

すると、ふと、14代目守田勘弥さんとその養子の坂東さんのことを思い出したそうで、

伊藤さんは、

女方の玉三郎さんに初々(ういうい)しく、清潔なものを感じていた。これは、他の御曹子からは受けない感情であった。それに、甘やかされて、坊ちゃん 坊ちゃんとして育てられた人々が、共通に持っているひ弱さは、この人にはなかった。

それよりも、一見、手折ればすぐに折れてしまうような、弱々しく見えながら、簡単には折れない、弱竹の力がある。

国立劇場に人知れず売り出して行くためには、色々と妨害もあるだろうし、邪魔もあるだろうし、嫉妬もあるだろう。そうしたことがあっても、それを乗り越えて行くには、この弱竹の力が是が非にも必要である。

と、坂東さんに白羽の矢を立てたのでした。

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伊藤信夫に勝手に国立劇場のスターとして売り出される計画をされる

また、伊藤さんは、松竹では、守田勘弥さんが、歌舞伎界の因習のため、中村歌右衛門さん、中村勘三郎さん、尾上梅幸さん、尾上松緑さんらと同等に扱われていないことから、その勘弥さんの息子(それも養子)の坂東さんも、菊之助さんたちと同等に売り出されることはないだろうと気づいたそうで、

歌舞伎界全体、松竹の方針、勘弥さんの歌舞伎界におけるポジション、坂東さんの素質と性格など、すべてを総合的に考慮した結果、勘弥さんと坂東さんに一切相談することなく、勝手に坂東さんを国立劇場のスターにする決心をしたのだそうです。

(二枚目役者・市川團十郎さんの死後は、本来なら、勘弥さんが歌舞伎界を代表する二枚目役者になっていいはずが、歌舞伎座での出演回数も少なく、決して恵まれている境遇だとはいえなかった勘弥さんなら、松竹は申し込めばいつでも貸してくれると思ったそうです)

「坂東玉三郎の「時鳥」役抜擢を養父・守田勘弥は疑っていた!」に続く

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