「桜姫東文章」では、作家の三島由紀夫さんをはじめ、名だたる文化人を熱狂させるも、一般的にはまだ評価もされておらず、無名の存在だった、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、その後、女方への道を歩き始めると、1967年12月に上演された、「曾我綉侠御所染」では、いよいよ、一般的にも注目を集めます。
「坂東玉三郎の「桜姫東文章」の「白菊丸」は一般受けはしていなかった!」からの続き
「曾我綉侠御所染」での愛妾・時鳥役で注目を集める
「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」での白菊丸役の美少年ぶりで、名だたる文化人に衝撃を与えた坂東さんですが、そのまま二枚目役者への路線を進むと思いきや、そうではなく、幼い頃からの憧れであった、女方(おんながた)への道を歩き始め、
「桜姫東文章」上演からわずか9ヶ月後の1967年12月には、国立劇場で開催された「曾我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」(「御所の五郎蔵」とも言われています)で、奥州の大名・浅間巴之丞(あさまともえのじょう)の愛妾の時鳥(ほととぎす)役に抜擢されると、
娘が疎んじられていると恨みをつのらせた巴之丞の正室の母・百合の方に、悪瘡(あくそう)を発する毒を盛られたうえ、なぶり殺しにされ、杜若(かきつばた)の美しく咲きみだれる池へ死体を沈められるという凄惨なシーンでの、この世のものとは思えないような妖艶な美しさを放つ演技で、たちまち注目を集めます。
「曾我綉侠御所染」で可憐な娘役から非業の女方に転換
この時鳥役での成功で、坂東さんは女方への土台を固めると、これまで多く演じてきた可憐な娘役を離れ、宿命や死を背負った非業の女方を演じることへと邁進していくことになるのですが、
詩人の高橋睦郎さんは、この時、時鳥を演じた坂東さんを、
杜若(かきつばた)の咲きみだれる庭で守田勘彌扮する、後室・百合の方に殺される玉三郎の愛妾・時鳥は嫉妬のため殺される身ながら、嫉妬や殺害を呼ぶだけの妖艶さにあふれていた
と、絶賛しています。
松竹は坂東玉三郎の売出しに消極的だった
そんな坂東さんですが、実は、松竹は、「桜姫東文章」の白菊丸役で、三島由紀夫さんほか当時の文化人たちの間で噂になっていた坂東さんの売出しを控えていたそうです。
というのも、中村歌右衛門さんら歌舞伎界の大幹部たちに遠慮していたそうで、世襲で伝統を継ぐことの多い歌舞伎界において、梨園の出身ではない坂東さんがスターになることは、秩序の崩壊、つまり革命につながるとして、松竹自体も望んでいなかったのだそうです。