1992年には、初映画「いつか どこかで」を制作するも、散々な評価だった、小田和正(おだ かずまさ)さんは、1997年には、挽回するべく、第二作目の映画「緑の街」を制作しているのですが、実は、1994年に制作したドキュメンタリー「キャディ 青木功/小田和正~怒られて、励まされて、54ホール」での体験が役に立ったといいます。
「小田和正の初映画監督作品「いつかどこかで」の評価は散々だった!」からの続き
映画監督第二作目「緑の街」は第一作目「いつかどこかで」の制作現場の出来事を取り込んでいた
映画監督第一作目の「いつか どこかで」では、撮影時から「おまえが演技指導なんて、どの面(ツラ)下げてやるんだ」というような雰囲気だったほか、スタッフにも、「こいつ、なにもないな」と思われていることが態度や視線からありありと感じる辛い現場で、完成したら完成したで、散々な評価だったという小田さんは、
早く挽回したいという思いや、どこが間違っていたのかを確かめたい気持ちで、5年後の1997年には、第二作目の映画を制作しているのですが、
実は、第二作目の映画「緑の街」は、歌手である主人公が映画を制作するという物語で、この散々だった第一作目「いつかどこかで」の制作現場の出来事を取り込んで作ったのだそうです。
素の姿を描いたドキュメンタリー「キャディ 青木功/小田和正~怒られて、励まされて、54ホール」が大反響だった
というのも、小田さんは、1994年、ドキュメンタリー「キャディ 青木功/小田和正~怒られて、励まされて、54ホール」という番組を制作しているのですが、
これは、小田さんが、全米シニア・ツアー公式戦に出場するプロゴルファー・青木功さんのキャディを務めるという企画で、当初は余裕しゃくしゃくだった小田さんが、いざプレーが始まると失敗の連続で、青木さんに何度も本気で叱られているのですが、そんな素の姿をさらけ出したことが反響を呼び、
テレビ放映後、街を歩いていると、「あんた、見たわよ」「おもしろかったね」などと、驚くほど多くの知らない人に声をかけてもらったそうで、
(そんなにおもしろかったのかと驚いたそうです)
見ている人はこういうの(青木さんに本気で叱られるところ)がおもしろいんだ、自分が実際に経験したドタバタや、臨場感のあることが心に届くのだ
ということが分かったからだそうです。
(自身が制作した映像作品の中で一番反響が大きかったそうです)
「キャディ 青木功/小田和正~怒られて、励まされて、54ホール」より。青木功さん(左)と小田さん(右)。
叱られるところなど恥ずかしい姿をさらけ出すことに抵抗を感じていなかった
ちなみに、小田さんは、一般的には、人に見られたくないような恥ずかしい姿をさらけ出したことについて、インタビューをまとめた書籍「「100年インタビュー」保存版 時は待ってくれない」で、
あまり抵抗がないんだよね。失敗を見せることには抵抗はないな。なんでか知らないけれども。滑稽なのは人が喜ぶし、親近感もわく。
たとえば、ピアノでイントロをやって間違えたとき、「あ、間違えちゃった」と言うと、お客さんがすごい喜ぶんだよね。そういうような局面もいっぱいあって、キャディのときもそうだし、おれがどじってると、みんなが喜ぶというような。
オフコース時代には、自分でかっこつけようと思ったわけじゃないけど、でも、そういうところはいっさい出さないでかっこつけて、すかしちゃってる感じのところで戦ってたんだね。
と、語っています。
素(等身大)の姿を見せたいと思っていた
また、「緑の街」は、物語の途中から、小田さんの素(等身大)の姿を見せることがテーマのようになっているのですが、
小田さんは、このことについて、
テーマというか、それを見せたいっていう気持ちのほうが強いよね。これがぼくの等身大ですって見せることが、自分のパフォーマンスだったのかなという。
たとえば、よその仕事に行くときに、事務所の人たちがいっぱいついていったりするじゃない。でも、おれは、できるだけ少人数で行きたい、そうありたいなって思ってるわけ。
「ぼく一人で来ました」「あれ、スタッフの方は?」「いや、いないです」ってね。うん、そういうのが好きだね。等身大っていうのは、おれにとってそういうことだな。難しいことじゃなくて。
と、語っています。
「小田和正のデビューからのディスコグラフィを画像で!」に続く