作詞家・三木鶏郎さんのスタジオにアルバイトに来ていた、国立音楽大学の学生・神津善行さんと知り合うと、お互い第一印象は最悪だったものの、芸能人ではない普通の大学生だった神津さんに新鮮さを感じ、ほのかに好意を抱いたという、中村メイコ(なかむら めいこ)さんですが、一方で、この頃は仕事が超ハードスケジュールだったため、ついに、ノイローゼ気味になったといいます。

「中村メイコと神津善行の馴れ初めは?」からの続き

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仕事が多忙を極めノイローゼ気味になる

当時、ラジオ、テレビ、映画、雑誌の取材など、多忙を極めていた中村さんは、毎日、睡眠時間が2時間ほどしか取れない過酷な日々が続いていたそうで、

そんな中、普通の大学生である神津さんと知り合えて、新鮮で嬉しかったそうですが、ついには、ノイローゼ状態になってしまったそうです。

仕事があったにもかかわらず「アメリカンファーマシー」に行っていた

そんなある日のこと、赤坂のTBSの番組への出演だったのか、築地のビクタースタジオにレコーディングに行かなければならなかったのか、今となってははっきり覚えていないそうですが、

仕事があったにもかかわらず、ふと、気づくと、当時、最先端のお店だった日比谷の「アメリカンファーマシー」に行き、かわいい便箋や封筒などを見ていたそうです。

(「アメリカンファーマシー」は、アメリカン雑貨をたくさん取り扱っている、中村さんのお気に入りの店だったそうで、1950年にアメリカ海軍将校倶楽部の一室にオープンすると、1952年には有楽町の日活国際会館(現在のペニンシュラ・ホテル東京)に移転し、現在も丸の内店などで営業しているそうです)

店員の「ヴァイタミン」という言葉に死にたくなる

すると、中村さんが疲れた顔をしていたからか、日系二世の売り子さんから、

ア~ラ、 メイコチャン、イソガシイ、カワイソウ。 ヴァイタミン?

と、声をかけられたそうですが、

中村さんは、「ビタミン」ではなく「ヴァイタミン」と言われたことに、(普段はなんとも思わないはずが)何かカチンと来たそうで、途端に無性に悲しくなり、もう死にたい、死んでしまおうという気持ちになったのだそうです。

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なぜかタクシーの運転手を誘いラーメンを食べていた

そこで、タクシーに乗って湘南方向に向かうと、なぜか(自分でも分からないそうですが)、横浜の南京町(現在の横浜中華街)で、タクシーの運転手さんを、

一緒にラーメン、食べよう

と、誘い、屋台で一緒にラーメンを食べたのだそうです。

(この時のことは記憶が曖昧でよく覚えていないそうですが、それから15年後くらいに、ある番組でその運転手さんと再会し、一緒にラーメンを食べたのが本当だったことが判明したそうで、運転手さんによると、中村さんは、その日、仕事先へキャンセルの連絡を入れていたそうです)

「中村メイコは自殺未遂をきっかけに神津善行と交際していた!」に続く

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