結婚から60年以上経った現在も、夫・神津善行さんと仲睦まじい姿を見せている、中村メイコ(なかむら めいこ)さんですが、神津さんとの間には、男の子1人と女の子2人のお子さんがいるそうです。今回は、そんな中村さんの子供たちについてご紹介します。
娘(長女)は作家の神津カンナ
まず、長女は、1958年10月23日に誕生した、作家でエッセイストの神津カンナ(こうづ かんな)さんで、東洋英和女学院高等部卒業後、ニューヨークへ渡ると、サラ・ローレンス大学に入学。その後、中退して帰国すると、作家活動を開始されています。
中村さん(左)と長女の神津カンナさん(右)。
娘(次女)は女優の神津はづき
次女は、1962年8月31日に誕生した、女優の神津はづき(こうづ はずき)さんで、姉のカンナさん同様、東洋英和女学院高等部卒業後は、ニューヨークに渡り、ニューヨーク大学に留学。
帰国後の1983年には、テレビドラマ「わが家はカタログ」で女優デビューし、以降、テレビドラマ、映画、舞台、ラジオのDJと幅広く活動するほか、2018年には、大人の女性のための家着ブランド「Petit Tailor R-60」を立ち上げられています。
次女の神津はづきさん(左)と中村さん(右)。
ちなみに、プライベートでは、1992年に、俳優の杉本哲太さんと結婚し、3人の子供を出産されています。
息子(長男)は洋画家の神津善之介
そして、長男は、1972年に誕生した、洋画家の神津善之介(こうづ よしのすけ)さんで、現在、スペインを拠点に活動されているそうです。
長男の神津善之介さん。
神津善之介さんの作品。
2人の娘と息子の年齢差が10歳以上の理由とは?
ところで、中村さんは、23歳で結婚し、24歳で長女のカンナさん、27歳で次女のはづきさんを出産した後、11年後の38歳の時、長男の善之介さんを出産しているのですが、
これは、娘たちも大きくなり、やっと、少し大人の女性として遊べるかなと思ったちょうどその頃に、夫の神津善行さんから、もう一人子供を生んで欲しいと言われたからなのだそうです。
仕事よりも家庭を優先していた
そんな中村さんは、結婚したからには家庭がちゃんとしていないと嫌だったため、仕事よりも家庭を優先しようと決めていたそうで、
朝は、誰よりも早く起きて、子供たちを学校に遅れないように起こし、朝食を作って朝ごはんを食べさせ、それからお弁当を作って子供たちに持たせて学校に送り出してから仕事に行き、16時には仕事から帰り、子供たちを「お帰り」と迎え、夕食の準備をするという生活を、善之介さんが高校を卒業するまで続けていたそうです。
(毎日家族で夕食のテーブルを囲んでいたそうです)
それでも、子育ては、とても楽しく、ほとんど苦にならなかったそうですが、子供を育てるというよりも、語り合ってきた、という子育てだったそうです。
長女・カンナは母・中村メイコの「存在自体が心配」?
ちなみに、長女のカンナさんは、2019年、トーク番組「サワコの朝」に出演した際、お母さんである中村さんのことを、「存在自体が心配」だと語っています。
というのも、中村さんは、切符の買い方が分からず、トランプのように切符を買い並べて駅員さんに質問するほか、服の裾上げがホッチキスだったそうで、
常識的なことはあまりないから、私がしっかりしなきゃって子供心ながらに思った
父が”あの人をお母さんだと思ってはいけない。中村メイコという人なんだ。僕もそう思っている”と。(父と)”同士”だって言って握手したんです
と、語っています(笑)
さて、いかがでしたでしょうか。
中村メイコさんの、
- 中村メイコの学歴が小学校卒の理由とは?
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?芸名の由来は?
- 学歴が小学校卒の理由とは?
- 父親はナンセンス(ユーモア)作家の中村正常
- 中村メイコの幼い頃の育てられ方が凄い!
- 幼少期は裕福な家庭で育つも独特の教育を受けていた
- 父親・中村正常からはいつもニコニコするように育てられていた
- 幼い頃から美人でないことを自覚していた
- 中村メイコが幼い頃は母親から家事一切の手伝いをさせられていた!
- 父親・中村正常の教え
- 母親からは幼い頃から家事一切の手伝いをさせられていた
- 母親からは脚がきれいになるよう家の中でも靴を履かされていた
- 中村メイコは2歳で映画デビューしていた!
- 2歳の時「フクちゃん」役にスカウトされる
- 「フクちゃん」役のためお昼寝中にイガグリ頭にされていた
- 映画「江戸っ子 健ちゃん」で子役デビュー
- 幼い頃は撮影所で黒澤明におんぶをして遊んでもらっていた
- 中村メイコは6歳の時「謡と代用品」でTVドラマデビューしていた!
- 6歳の時にはNHKの実験放送でTVドラマデビューするも一時的に目が見えなくなっていた
- 生え抜き初のNHK会長・坂本朝一に面倒を見てもらっていた
- テレビ黎明期にNHKのコメディ番組「今晩わメイコです」に出演
- 中村メイコは「テレビ朝日」開局当初からTV出演していた!
- 日本教育テレビ(テレビ朝日)開局当初の「メイコのごめんあそばせ」にも出演
- トーク番組「メイコのごめんあそばせ」には元内閣総理大臣の吉田茂も出演していた
- テレビ番組「宰相登場」では中曽根康弘に参院選出馬を熱心に口説かれていた
- 元内閣総理大臣の田中角栄と親しかった
- 中村メイコは天才子役と呼ばれていた!
- 愛くるしい自然体の演技で「天才子役」と呼ばれていた
- 1人で12役を演じ分け「七色の声」と呼ばれていた
- 子役の時の出演料は父親の意向で現物支給だった
- 中村メイコは小学校で孔雀の檻に入れられ鍵をかけられていた!
- 小学校では休み時間に校庭の孔雀の檻に入れられ鍵をかけられていた
- 芸能界の大先輩が「学校」だった
- 徳川夢声には漢字を教わっていた
- 古川ロッパには英語を教わっていた
- 中村メイコは子役時代に列車が爆撃を受けるも九死に一生を得ていた!
- 乗っていた列車が爆撃を受けるも九死に一生を得ていた
- 8歳の誕生日は戦時下の閑散とした下関でわびしい気持ちになるも・・・
- 徳川夢声から誕生日プレゼントに虫眼鏡をもらっていた
- 徳川夢声には仲人も頼み快諾してもらっていた
- 奈良県生駒郡富雄村に疎開
- 機銃掃射を受け一緒に歩いていた友人が死去
- 軍から特攻隊の慰問の要請を受けていた
- 特攻隊の慰問では軍事機密保持のため移動中は目隠しをされていた
- 特攻隊の慰問では一人だけワンピース姿だった
- ワンピース姿は淡谷のり子の影響だった
- 淡谷のり子の影響でつけまつ毛をするように
- 特攻隊の慰問では歌も軍歌ではなくオリジナル曲を歌っていた
- 特攻隊員たちは幼い中村メイコの歌に感涙していた
- 若く美しい女優の慰問は特攻隊員には酷だった
- 戦争中は父親の中村正常が断筆して母親が代わりに働いていた
- 質屋でお金を借りてくるシーンを母親からリアルで演技指導されていた
- 戦後は家計が苦しかったことを知らなかった
- 終戦後は進駐軍の慰問へ行き英語の歌を歌っていた
- 最初に覚えた英語はNHKラジオ「英語会話教室」のテーマソング「カムカム英語の歌」
- 父親の紹介で雑誌社でアルバイト
- 作家の吉行淳之介に一目惚れしていた
- 吉行淳之介と初デート
- 吉行淳之介の短編小説「水の畔り」に登場する少女は中村メイコがモデル
- 吉行淳之介にネックレスを取って欲しいと言われるも拒否していた
- 吉行淳之介にネックレスを外してほしいと言われるも拒否していた
- 「ネックレスを外してほしい」と言われた理由を知り少し後悔していた
- 結婚後も吉行淳之介とは年に1度プラトニックなデートをしていた
- 2人の「ヨシユキ」との出会いに運命を感じていた
- 吉行淳之介とのプラトニックな関係を後悔していた
- 吉行淳之介の小説「闇の中の祝祭」を読み男女間の愛憎劇に恐ろしさを感じていた
- 吉行淳之介の伴侶・宮城まり子の強烈な嫉妬心に”女の業”を感じていた
- 2枚目のシングル「田舎のバス」がヒット
- 「田舎のバス」は名古屋のエレベーターガールがヒントになっていた
- 「田舎のバス」のヒットは予想外だった
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 著書
- 著書(共著)
- 夫・神津善行との馴れ初め
- 神津善行に「した(下)がどのくらい出せるか」と聞かれ「した(舌)」を突き出していた
- 神津善行との最初の出会いは最悪だった
- 普通の学生だった神津善行と永六輔が新鮮だった
- 仕事が多忙を極めノイローゼ気味になる
- 仕事があったにもかかわらず「アメリカンファーマシー」に行っていた
- 店員の「ヴァイタミン」という言葉に死にたくなる
- なぜかタクシーの運転手を誘いラーメンを食べていた
- 海に入り自殺を試みる
- 徳川夢声の娘に助けられ神津善行に連絡してもらう
- 神津善行が駆けつけて来てくれ交際に発展
- 神津善行の夢はニューヨークへ音楽留学することだった
- 3回目のデートで神津善行から突然プロポーズされる
- 神津善行と結婚
- 「上を向いて歩こう」は永六輔の失恋ソングだった
- 美空ひばりのことを当初はよく思っていなかった
- 美空ひばりの母親が突然来訪して家庭生活を見せるよう頼んできていた
- 神津善行との間に美空ひばりが入り川の字になって寝ていた
- 美空ひばりとは飲み友達だった
- 美空ひばりにはしばしば夫・神津善行の浮気を未然に防いでもらっていた
- 中村メイコは夫・神津善行とその浮気相手に同情していた?
- 美空ひばりが入院
- 美空ひばりは一旦は回復するも再び病状が悪化していた
- 美空ひばりの訃報を受け病院に駆けつけると遺品の黒いサングラスと黒いハンカチを渡される
- 親友は美空ひばりただ一人
- 断捨離していた
- 物を捨てたことで見えた物があった
- どうしても断てられなかった3つの物とは?
- 元内閣総理大臣・田中角栄とはユニークな関係だった
- 娘(長女)は作家の神津カンナ
- 娘(次女)は女優の神津はづき
- 息子(長男)は洋画家の神津善之介
- 2人の娘と息子の年齢差が10歳以上の理由とは?
- 仕事よりも家庭を優先していた
- 長女・カンナは母・中村メイコの「存在自体が心配」?
について、まとめてみました。
2019年夏、85歳の時には、股関節を骨折して入院していたという中村さんですが、出産以外の入院は、今回が初めてということで、その元気さには驚くばかり。これからも、まだまだ、昭和の芸能界の貴重なエピソードを語り続けてほしいものです。
(前列左から)中村さん、神津善之介さん、神津善行さん、(後列左から)神津はづきさん、神津カンナさん。
1936年、わずか2歳8ヶ月の時に、映画「江戸っ子 健ちゃん」で子役デビューすると、以降、複数の役で7色の声を使い分けるなど、天才子役として名を馳せ、その後も、テレビドラマ、映画、舞台と幅広く活動している、中村メイコ(な …