80代後半に差し掛かる現在も、テレビのトーク番組に出演するなど、元気な姿を見せている、中村メイコ(なかむら めいこ)さんは、79歳の時に断捨離し、その量はトラック7台分にもなったといいますが、そんな中、どうしても捨てられなかったものがあったといいます。
「中村メイコの娘は神津カンナと神津はづき!息子は?」からの続き
断捨離していた
中村さんは、2013年、79歳の時、
思い出深いものから捨てないと人生の最後を身軽に生きられない
と、まだ元気なうちに自分のものを片付けようと、どんどん色んなものを処分していったそうで、
ついには、2014年、80歳のときには、30年間暮らした一軒家まで手放し、広さ3分の1ほどのマンションに引っ越ししたそうですが、
少しずつ色んなものを処分していたにもかかわらず、引っ越しの際、捨てたものは、夫の神津善行さんの物も合わせると、トラック7台分にもなったそうです。
(その中には、台本、資料、NHK紅白歌合戦で着た振り袖、着物100枚、神津さんのグランドピアノ、地下室に所有していた高級酒数百本などがあったそうです)
物を捨てたことで見えた物があった
こうして、かなり思い切ったことした中村さんですが、捨てたことで見えてきたものもあったそうで、
広い家に住んでいると、ついモノが多くなっちゃうけど、スペースがなければ、最小限の物しか身の回りに置かない。それで充分なんです。
いまはちょっと長い旅行に来ている気分で、欲しいものがあれば、その都度、無理をしない範囲で買えばいいと思っています。便利な世の中ですから、なくなったら買えばいいんです。
と、語っています。
どうしても断てられなかった3つの物とは?
それでも、どうしても捨てられなかったものがあったそうで、まず、一つ目は、元内閣総理大臣の田中角栄さんからもらった、サイン入りかつ「メイコちゃんへ」と書かれたお皿だそうです。
というのも、田中さんとは、とても親しくしていたそうで、忘れられない思い出があり、お皿は手元に残しておきたいと思ったのだそうです。
例えば、1957年(昭和32年)、田中さんが、戦後初の30代の国務大臣として郵政大臣に就任した時のこと、田中さんは、雑誌の対談をしている最中にいったん席をはずしたそうですが、しばらくすると、興奮した顔で戻って来て、
今、テレビの民放を認可した。メイコ、お前は記念すべき日にここにいた。テレビの申し子だ
と、言ったそうで、中村さんはその時のことが忘れられないそうです。
(田中さんは、民放テレビ局の放送免許を郵政省の影響下に置いたのですが、それは、その後、田中さんの飛躍の原動力になりました)
元内閣総理大臣・田中角栄とはユニークな関係だった
また、中村さんは、娘たちを連れて田中さんの目白の自宅まで年始の挨拶に行ったことがあるそうですが、その際、田中さんから娘たちにもらったお年玉の額が異常に大きく、
中村さんが、
こんなにおカネをあげるなんて、子どもにとってよくないんですよ。これだけちょうだいします
と、お札を一枚だけとって、残りを返すと、
田中さんには、
そうか。そういうものなのか。じゃあ、メイコちゃんにも用意しておいたんだけど、同じ額にしよう
と、言われ、
(今さら)いえいえ、大人はたくさんもらってもいいんですよ
とも言えず、焦ったこともあったそうで、
中村さんは、
自分で言うのもおこがましいが、私と角栄さんとは気が合った。毀誉褒貶(きよほうへん)のある方だったが、私にとってはきっぷのいいおじさんで、魅力的なかわいい人だった。
夫はよく「中村メイコと一緒に暮らせるのは、自分以外では角栄さんしかいない」なんて言っていた
と、語っています。
ちなみに、捨てられなかった(断捨離できなかった)あと二つのものは、徳川夢声さんからもらった虫眼鏡と、美空ひばりさんからもらった黒いサングラス&黒いハンカチだそうです。
さて、いかがでしたでしょうか。
中村メイコさんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?芸名の由来は?
- 学歴が小学校卒の理由とは?
- 父親はナンセンス(ユーモア)作家の中村正常
- 幼少期は裕福な家庭で育つも独特の教育を受けていた
- 父親・中村正常からはいつもニコニコするように育てられていた
- 幼い頃から美人でないことを自覚していた
- 父親・中村正常の教え
- 母親からは幼い頃から家事一切の手伝いをさせられていた
- 母親からは脚がきれいになるよう家の中でも靴を履かされていた
- 2歳の時「フクちゃん」役にスカウトされる
- 「フクちゃん」役のためお昼寝中にイガグリ頭にされていた
- 映画「江戸っ子 健ちゃん」で子役デビュー
- 幼い頃は撮影所で黒澤明におんぶをして遊んでもらっていた
- 6歳の時にはNHKの実験放送でTVドラマデビューするも一時的に目が見えなくなっていた
- 生え抜き初のNHK会長・坂本朝一に面倒を見てもらっていた
- テレビ黎明期にNHKのコメディ番組「今晩わメイコです」に出演
- 日本教育テレビ(テレビ朝日)開局当初の「メイコのごめんあそばせ」にも出演
- トーク番組「メイコのごめんあそばせ」には元内閣総理大臣の吉田茂も出演していた
- テレビ番組「宰相登場」では中曽根康弘に参院選出馬を熱心に口説かれていた
- 元内閣総理大臣の田中角栄と親しかった
- 愛くるしい自然体の演技で「天才子役」と呼ばれていた
- 1人で12役を演じ分け「七色の声」と呼ばれていた
- 子役の時の出演料は父親の意向で現物支給だった
- 小学校では休み時間に校庭の孔雀の檻に入れられ鍵をかけられていた
- 芸能界の大先輩が「学校」だった
- 徳川夢声には漢字を教わっていた
- 古川ロッパには英語を教わっていた
- 乗っていた列車が爆撃を受けるも九死に一生を得ていた
- 8歳の誕生日は戦時下の閑散とした下関でわびしい気持ちになるも・・・
- 徳川夢声から誕生日プレゼントに虫眼鏡をもらっていた
- 徳川夢声には仲人も頼み快諾してもらっていた
- 奈良県生駒郡富雄村に疎開
- 機銃掃射を受け一緒に歩いていた友人が死去
- 軍から特攻隊の慰問の要請を受けていた
- 特攻隊の慰問では軍事機密保持のため移動中は目隠しをされていた
- 特攻隊の慰問では一人だけワンピース姿だった
- ワンピース姿は淡谷のり子の影響だった
- 淡谷のり子の影響でつけまつ毛をするように
- 特攻隊の慰問では歌も軍歌ではなくオリジナル曲を歌っていた
- 特攻隊員たちは幼い中村メイコの歌に感涙していた
- 若く美しい女優の慰問は特攻隊員には酷だった
- 戦争中は父親の中村正常が断筆して母親が代わりに働いていた
- 質屋でお金を借りてくるシーンを母親からリアルで演技指導されていた
- 戦後は家計が苦しかったことを知らなかった
- 終戦後は進駐軍の慰問へ行き英語の歌を歌っていた
- 最初に覚えた英語はNHKラジオ「英語会話教室」のテーマソング「カムカム英語の歌」
- 父親の紹介で雑誌社でアルバイト
- 作家の吉行淳之介に一目惚れしていた
- 吉行淳之介と初デート
- 吉行淳之介の短編小説「水の畔り」に登場する少女は中村メイコがモデル
- 吉行淳之介にネックレスを取って欲しいと言われるも拒否していた
- 吉行淳之介にネックレスを外してほしいと言われるも拒否していた
- 「ネックレスを外してほしい」と言われた理由を知り少し後悔していた
- 結婚後も吉行淳之介とは年に1度プラトニックなデートをしていた
- 2人の「ヨシユキ」との出会いに運命を感じていた
- 吉行淳之介とのプラトニックな関係を後悔していた
- 吉行淳之介の小説「闇の中の祝祭」を読み男女間の愛憎劇に恐ろしさを感じていた
- 吉行淳之介の伴侶・宮城まり子の強烈な嫉妬心に”女の業”を感じていた
- 2枚目のシングル「田舎のバス」がヒット
- 「田舎のバス」は名古屋のエレベーターガールがヒントになっていた
- 「田舎のバス」のヒットは予想外だった
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 著書
- 著書(共著)
- 夫・神津善行との馴れ初め
- 神津善行に「した(下)がどのくらい出せるか」と聞かれ「した(舌)」を突き出していた
- 神津善行との最初の出会いは最悪だった
- 普通の学生だった神津善行と永六輔が新鮮だった
- 仕事が多忙を極めノイローゼ気味になる
- 仕事があったにもかかわらず「アメリカンファーマシー」に行っていた
- 店員の「ヴァイタミン」という言葉に死にたくなる
- なぜかタクシーの運転手を誘いラーメンを食べていた
- 海に入り自殺を試みる
- 徳川夢声の娘に助けられ神津善行に連絡してもらう
- 神津善行が駆けつけて来てくれ交際に発展
- 神津善行の夢はニューヨークへ音楽留学することだった
- 3回目のデートで神津善行から突然プロポーズされる
- 神津善行と結婚
- 「上を向いて歩こう」は永六輔の失恋ソングだった
- 美空ひばりのことを当初はよく思っていなかった
- 美空ひばりの母親が突然来訪して家庭生活を見せるよう頼んできていた
- 神津善行との間に美空ひばりが入り川の字になって寝ていた
- 美空ひばりとは飲み友達だった
- 美空ひばりにはしばしば夫・神津善行の浮気を未然に防いでもらっていた
- 中村メイコは夫・神津善行とその浮気相手に同情していた?
- 美空ひばりが入院
- 美空ひばりは一旦は回復するも再び病状が悪化していた
- 美空ひばりの訃報を受け病院に駆けつけると遺品の黒いサングラスと黒いハンカチを渡される
- 親友は美空ひばりただ一人
- 娘(長女)は作家の神津カンナ
- 娘(次女)は女優の神津はづき
- 息子(長男)は洋画家の神津善之介
- 2人の娘と息子の年齢差が10歳以上の理由とは?
- 仕事よりも家庭を優先していた
- 長女・カンナは母・中村メイコの「存在自体が心配」?
- 断捨離していた
- 物を捨てたことで見えた物があった
- どうしても断てられなかった3つの物とは?
- 元内閣総理大臣・田中角栄とはユニークな関係だった
について、まとめてみました。
2019年夏、85歳の時には、股関節を骨折して入院していたという中村さんですが、出産以外の入院は、今回が初めてということで、その元気さには驚くばかり。これからも、まだまだ、昭和の芸能界の貴重なエピソードを語り続けてほしいものです。