大学卒業後は、プロになることを決心し、バンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」を結成すると、米軍キャンプを中心に演奏活動をしていた、高木ブー(たかぎ ぶー)さんは、やがて、日本の音楽シーンが大きく様変わりすると、バンドを「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」にリニューアルしたといいます。
「高木ブーが若い頃は「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」を結成していた!」からの続き
「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」としてワールドツアーにも参加
ハワイアンバンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」を結成し、「お徳用詰め合わせ」のメンバーと共に、米軍キャンプを巡業していた高木さんは、ワールドツアーにも(台湾、フィリピン、返還前の沖縄など)、何度も出かけたそうで、
(旅客機ではなく、立川にあった米軍の飛行場から、パラシュートを背負わされての軍用機での旅だったため、揺れも激しく、時間もかかったそうで、何よりも、座席が硬く、お尻が痛かったそうです)
現地には、約1ヶ月ほど滞在し、サービスクラブ、一般兵のクラブ、下士官クラブ、将校クラブのほか、夜は、どこかのクラブのショータイムにゲスト出演していたそうですが、どこもお客さんのノリが良く、演奏していて、とても楽しかったそうです。
米軍キャンプで初めてコカ・コーラやハンバーガーを知る
そんな高木さんは、米軍キャンプでの生活について、
キャンプの中にいる分には、ほとんどお金はかからない。ギャラとは別に1日5ドルの手当てが出て、1ドル360円だったからだいたいはそれで足りた。ギャラがそのまま残ったのはありがたかったな。
言葉も通じないからあんまり外に飲みに行かなかったけど、沖縄では踊れるお店に何度か行った。当時は車が右側で、お金もドル。繁華街には米兵があふれてる。日本語は通じても、やっぱり「アメリカ」だったんだよね。
と、語っているのですが、
コカ・コーラ、ハンバーガー、巨大なステーキ、ラッキーストライク(たばこ)なども、米軍キャンプで初めて知ったそうで、初めてコーラを飲んだ時は、「不思議な味だなあ」と思いつつも、独特のおいしさに惹かれたそうです。
ただ、トイレは、隣との壁がなく、座って用を足しながら隣の人と会話する、というスタイルだったそうで、これには、最後まで慣れなかったそうです(笑)
「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」にリニューアル
ともあれ、こうして、高木さんは、順調な音楽生活を送っていたそうですが、1950年代半ば頃になると、エルビス・プレスリーの一大ブームが巻き起こって、ロックンロールが注目を集めるようになるほか、ダーク・ダックスやデューク・エイセスのジャズコーラスが人気を集めるようになるなど、日本の音楽シーンが大きく変わったそうで、
高木さんたちも、新しいことをやってみようと、同じメンバーで、「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」にバンドをリニューアルしたのだそうです。
「高木ブーは昔「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」にスカウトされていた!」に続く
「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」(中央が高木さん)