高校時代、ハワイアンバンドを組み、演奏会やパーティーで演奏するなど、ウクレレに夢中だったという、高木ブー(たかぎ ぶー)さんは、大学進学後は、本格的に音楽活動を始め、大学卒業後は、プロを目指して、ハワイアンバンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」を結成し、米軍キャンプを中心に巡業したといいます。

「高木ブーはウクレレの前はボクシングをしていた!」からの続き

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大学卒業後は音楽の道へ進むことを決意

高校時代、ウクレレに明け暮れる毎日を送っていたという高木さんは、高校卒業後は、中央大学に進学すると、ハワイアンバンド「ルナ・ハワイアンズ」に参加し、アルバイトで銀座のダンスホールやクラブで演奏したそうです。

そして、大学卒業後は、お父さんのコネで「東京ガス」への就職が決まっていたそうですが、音楽の道に進むことを決意し、大学を卒業する前に、音楽で食べていきたい旨をお父さんに伝えると、

お父さんは、一呼吸おいて、

お前の夢なんだったらしょうがない

と、許してくれたのだそうです。

大学卒業後は父親のコネで「東京ガス」への就職が決まっていた

ちなみに、お父さんは、あちこちに頭を下げて、高木さんの「東京ガス」への就職を取り計らってくれていたそうですが、高木さんは、大学生時代から音楽で稼ぎ、大卒の初任給よりも多いギャラをもらう月もあったことから、

まぁ、なんとかなるんじゃないの?

と、軽い気持ちだったそうです。

(ただ、優しく許してくれたお父さんには感謝しているそうです)

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ハワイアンバンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」を結成

さておき、プロになることを決心した高木さんは、ハワイアンバンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」を結成すると、当時は、日本各地に米軍が駐留していて、ハワイアンは軍人さんに大人気だったことから、厚木、横田と、毎日のように米軍キャンプを回ったそうで、

(高木さんが所属していた事務所は、バンド、女性ダンサー、マジシャン、漫談ができる人を、「お徳用詰め合わせ」という風にして米軍キャンプに売り込んでいたそうです)

高木さんたちが指定された時間に東京駅の八重洲口や新宿駅の南口に行くと、米軍のトラックが迎えに来てくれ、荷台に乗せられて、その日に仕事がある基地に向かったそうで、集合場所には、たくさんのミュージシャンが集まっていたそうです。

(新宿南口には、小さな物置小屋で楽器を預かる商売など、まだ闇市のような雰囲気も残っていたそうです。また、「拾い」というキャンプの仕事を斡旋(あっせん)してくれる人に、「横須賀、ベースいないか?」などと声をかけると、すぐに即席のバンドが結成できたのだそうです)

「高木ブーの若い頃は米軍キャンプで演奏活動をしていた!」に続く


「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」(右端が高木さん)

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