「石井均一座」に入るも、2年ほどで解散したことから、今度は、「劇団ムーラン」に入るも、またもや早々に解散となってしまい、再び、途方に暮れていたという、財津一郎(ざいつ いちろう)さんですが、劇作家で俳優の小崎政房さんのアドバイスと紹介により、関西に活動の拠点を移したといいます。

「財津一郎は昔「石井均一座」や「劇団ムーラン」を転々としていた!」からの続き

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劇作家で俳優の小崎政房から「宝塚新芸座」を紹介してもらう

「石井均一座」に引き続き、「劇団ムーラン」も解散し、途方に暮れていたという財津さんですが、そんな中、またしても、劇作家で俳優の小崎政房さんが手を差し伸べてくれたそうで、

小崎さんは、

関西にはいい劇団がある。関西で勉強したらどうだ。

と、(小崎さん本人も所属している)「宝塚新芸座」を紹介してくれたそうです。

(「宝塚新芸座」は、「宝塚歌劇団」の創立者・小林一三さんらが設立した劇団で、過去には、森光子さんやミヤコ蝶々さんも在籍していたことがあったそうです)

「宝塚新芸座」だけでは満足できなかった

こうして、財津さんは、「宝塚新芸座」に入団するため、関西に移り住むと、「宝塚新芸座」では、劇作家の菊田一夫さんの作品を扱った舞台を中心に出演するほか、「宝塚歌劇団」のスターを呼んだ公演に出演するなど、楽しく、とても勉強になったそうですが、

観客が10~20人ほどしかいなかったことや、朝と昼の公演を終えて劇場を出ると、外がまだ明るかったことから、ショービジネスは暗くなってからが本番なのではと考えるようになったそうで、そのうち、もっと自分を鍛えたいという思いに駆られるようになったのだそうです。

小崎政房から「吉本興業」を紹介してもらう

そこで、再び、小崎さんに相談すると、

小崎さんは、

盛り場の劇場で芸を磨け

と、今度は「吉本興業」を紹介してくれたそうで、

「吉本興業」は、日毎に演目が変わるハードな劇団だったほか、お客さんの反応が間近で分かる新喜劇を大切にしていたことから、勉強になると思い、財津さんは、この紹介を受けようと思ったのだそうです。

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「吉本興業」に入団

ちなみに、当時の「吉本興業」は、新喜劇に、芦屋雁之助さんや藤田まことさんら人気タレントを招いて出演してもらっていたことから、高額な出演料を支払わなければならず、吉本にはあまりお金が残らなかったため、赤字経営が問題となっていたそうで、

出演料を「吉本興業」側で決めることができる吉本専属のスターを育てようと、安い給料で研究生を募ることになったという内情を、文芸顧問の竹本浩三さんから聞き、若干はネックになったそうですが、それでも、財津さんは、挑戦する価値があると思い、「吉本興業」に入団することに決めたのだそうです。

「財津一郎は昔「夫婦善哉」を観て大阪の文化を勉強していた!」に続く

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