リトルリーグ時代に痛めた右肘の状態が悪化したことから、渡米し、野球選手の肘治療の権威・フランク・ジョーブ博士による手術を受けるも、術後の状態は芳しく無く、帰国後、活躍できぬまま、父の長嶋茂雄監督から直接戦力外通告を言い渡され、その年(1996年)限りで現役を引退した、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、現役引退後は、タレントに転身し、天然ボケキャラで大ブレイクを果たします。

「長嶋一茂の現役(プロ野球選手)時代の成績は?」からの続き

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明石家さんまからは戦力外通告される前に現役引退後の出演オファーを受けていた

一茂さんは、現役引退後は、個人事務所「ナガシマ企画」を設立し、タレントに転身しているのですが、実は、戦力外通告される年(1996年)、偶然にも、明石家さんまさんとゴルフをする機会があったそうで、

その時、さんまさんから、

辞めたら俺がやってる番組全部来いや

と、言われたことがあったそうです。

「さんまのSUPERからくりTV」の天然ボケキャラで大ブレイク

ただ、この時は、まだ戦力外通告されるとは思っておらず、さんまさんの言葉を真剣には受け止めていなかったそうですが、現役引退後、さんまさんは、本当に、自身の全てのレギュラー番組への出演オファーをくれたそうで、

特に、「さんまのSUPERからくりTV」では、レギュラー解答者として出演するほか、「知識の泉」のコーナーにも出演すると、西村知美さん、松嶋尚美さん、浅田美代子さんらと共に、天然ボケを活かした軽妙なやり取りが視聴者にウケ、大ブレイクを果たしたのでした。

(さんまさんからは、「さんまのSUPERからくりTV」でバラエティのイロハを教わったそうで、一茂さんは、さんまさんのことを大恩人だと語っています)

現役引退発表直後テレビやラジオから出演オファーが殺到していた

ちなみに、一茂さんの引退が新聞で発表された当日、一茂さんの家の留守番電話には、70数件ものメッセージが入っていたそうで、その多くが、テレビ局やラジオ局からの出演依頼、新聞や雑誌からの取材依頼だったそうですが、

それだけ多くのマスコミが関心を寄せてくれているという事実は、素直に嬉しく、落ち込んでいた気持ちを温かくしてくれたそうです。

(引退が決まったことから瞬間的に自身の商品価値が上がっただけで、これからもずっとこんな調子で仕事があるなどとは思っていなかったそうですが)

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自分でオファーの対応&営業をしていた

そんな一茂さんは、この頃は、まだマネージャーがいなかったため、自分で出演依頼の電話一本一本に対応していたそうですが、

それと並行し、野球の次に好きだった格闘技で生きていきたいと思い、K-1の番組プロデューサーに、自分を使ってくれるように持ちかけ、リポーターの仕事を得たこともあったそうです。

「長嶋一茂のデビューからの出演ドラマ映画CMを画像で!」に続く

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