幼少期から少女時代、父・王貞治さんから厳しい躾(しつけ)を受けて育ったという、王理恵(おう りえ)さんは、通っていた学校も規則の厳しいお嬢様学校だったことから、やがて、反発心が芽生えるようになったそうで、高校生の時、偶然、聴いた尾崎豊さんの「15の夜」に共感すると、以来、尾崎さんの歌の世界にのめり込んでいったといいます。

「王理恵の少女時代は父・王貞治からスパルタ教育を受けていた!」からの続き

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高校生の時に尾崎豊の「15の夜」を聴き共感していた

理恵さんは、幼少期から厳しく躾(しつ)けられ、小学校から高校まで一貫の私立のお嬢様学校(田園調布雙葉学園小学校・中学校・高校)に通っていたことから、思春期になると、自然と、親にも学校にも反抗心が芽生えるようになったそうですが、

そんな中、高校生の時、文化祭の準備で学校に遅くまで残っていると、最終下校時に、流れてきた音楽(いわゆる追い出しソング)が、尾崎豊さんの「15の夜」という曲だったそうで、薄暗くなった校舎で聴いていると、まるで歌の世界に入ったかのような感覚になったそうです。

尾崎豊の歌の世界にのめり込むようになった

以来、理恵さんは、尾崎豊さんのレコードを集めるようになるなど、尾崎さんの歌の世界にのめり込んでいったそうで、高校卒業後は、青山学院大学に進学するのですが、青山学院大学付属高校中退の尾崎さんと同じ学校に通うことになったことに、勝手に運命を感じたりしたそうで、

家にも学校にも反発する気持ちはあるけど、何にもできない自分がいて・・・。尾崎が歌う自由や愛や夢は、すごく共感できたんです。

『ダンスホール』(’85年)という曲を聴いて“親が絶対に許してくれないダンスホールって、どんなところなんだろう?華やかな女性がたくさんいるんだろうな”って、想像にふけったりすることもありました

と、語っています。

(ただ、お嬢様学校特有の雰囲気から、「尾崎を聴いている」とは誰にも言えなかったそうです)

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現在も尾崎豊の大ファン

ちなみに、理恵さんは、現在も、尾崎豊さんへの想いは変わらず、「尾崎会」というものに入っているほどの大ファンで、

尾崎と出会った曲でもある『15の夜』はいまでも大好き。『僕が僕であるために』(’83年のアルバム『十七歳の地図』に収録)は私の元気ソングで、ゴルフ場に行く車の中でかけたり、モヤッとしたとき、スッキリするために聴いたりしています。

尾崎の曲のように、ちっちゃなことで傷ついたり、人間関係に悩んだりしたとき、心に寄り添い、バチッとハマる音楽が、’80年代にはたくさんありましたよね

と、語っています。

(「尾崎会」では、(かなり有名な人もいるため名前は出せないそうですが)メンバーたちとLINEのグループで毎日のようにやりとりするほか、コロナ禍前には月1回のペースで食事会をしたり、尾崎さんの命日に集まったりしていたそうです)

「王理恵は大学時代ゴルフのプロを目指そうとしていた!」に続く


「15の夜」や「僕が僕であるために」が収録されたアルバム「17歳の地図」。

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