現在、タレント活動のほか、野菜ソムリエや雑穀エキスパートの資格を活かして、食生活の大切さを伝える活動もしているという、王理恵(おう りえ)さんですが、大学卒業後は、広告代理店・博報堂に入社し、Jリーグの立ち上げにも参加したそうです。

「王理恵は大学時代ゴルフのプロを目指そうとしていた!」からの続き

Sponsored Link

青山学院大学卒業後は博報堂に入社

お父さんの王貞治さんがゴルフ好きだったことに影響され、青山学院大学入学と同時にゴルフサークルに入ったという理恵さんは、その後、お父さんの現役時代の打撃コーチ・荒川博さんに、明治神宮外苑ゴルフ練習場(東京・新宿区)でゴルフを教えてもらうようになると、みるみるゴルフが上達し、一時はプロを目指そうとも思ったそうですが、

お父さんに、

プロを目指すのにはゴルフを始めたのが遅いし、恵まれた環境で育ってきたおまえには、勝負の世界で必要なハングリーさが足りない

と、すぐに却下され、「確かにそうだ」と納得すると、

青山学院大学文学部英米文学科卒業後の1992年には、広告代理店・博報堂に入社したそうです。

最初の仕事Jリーグで親しくなった川淵三郎らを相手に大失敗していた

そして、博報堂では、スポーツ事業本部に配属されたそうで(その後、秘書課でも勤務したそうです)、入社後、一番最初に担当した仕事がJリーグだったそうですが(Jリーグの立ち上げにも参加したそうです)、

Jリーグチェアマンだった川淵三郎さんが大のゴルフ好きだったほか、周囲にもゴルフをする人が多かったそうで、ゴルフをやっていたことがとてもプラスになったそうです。

ただ、ある日のこと、鷹之台カンツリー倶楽部で、川淵さん、セルジオ越後さん、松尾雄治さんに、ラウンドに誘ってもらったことがあったそうですが、あろうことか寝坊してしまったそうで、

(前夜、この豪華メンバーの組み合わせに、緊張のあまり眠れず、うとうとし始めて二度寝したところ、目が覚めると、すでにスタートの1時間前だったそうです)

理恵さんは、頭の中が真っ白になりつつ、どう考えても自宅から1時間でコースに着くことは出来ないことから、(携帯電話がまだなかった時代だったため)とりあえず、コースに電話して遅刻することを伝え、大急ぎで用意して出発したそうです。

すると、案の定、1時間も遅刻してしまったそうで、到着すると、川淵さんたちはスタート時間を遅らせて、クラブハウスで待っていてくれ、しかも、3人共、本当に優しくしてくれたそうで、それがまた申し訳なく思い、今でもこの大失敗は忘れられないそうです。

(その後、どんなプレーをしたのかほとんど記憶にないそうです)

博報堂退社後はリポーター、スポーツキャスター、ラジオのパーソナリティー

その後、博報堂は1996年に退社すると、お父さんの貞治さんが福岡ダイエーホークスの監督に就任したことがきっかけで、福岡放送のスポーツ報道番組「Jump Up ホークス」のリポーターとして出演し、注目を集めるようになり、

やがては、全国区でも、TBSのテレビ番組「エクスプレス」でスポーツキャスター、ニッポン放送のラジオ番組「デーブと王理恵の燃えろ!プロ野球」「デーブと王理恵の燃えろ!スポーツ天国」などでパーソナリティーを務めています。

(リポーター時代には何度もお父さんにインタビューしたそうです)

Sponsored Link

タレント活動のほか野菜ソムリエ・雑穀エキスパートとしても活動

また、理恵さんは、タレントとしても活動し、「ネプリーグ」「ダウンタウンDX]「痛快TV スカッとジャパン」などのバラエティ番組にも出演しているのですが、

現在は、タレント活動のほか、ジュニアベジタブル&フルーツマイスター(野菜のソムリエ)や雑穀エキスパートの資格を生かし、食生活が健康に及ぼす重要性を伝えつつ、新しいライフスタイルを提案するなど、各地のイベント講演や雑誌連載などを精力的に行っているそうです。

「王理恵の野菜ソムリエ活動は母親の病気がきっかけだった!」に続く

Sponsored Link