「オフコース」の17枚目のシングル「さよなら」が大ヒットした、小田和正(おだ かずまさ)さんですが、「さよなら」は、かなり、ヒットを意識して作った曲だったため、今度は、自分が伝えたいメッセージを盛り込んだ曲を作りたいと思い、次(18枚目)のシングルは「生まれ来る子供たちのために」をリリースしたといいます。

「小田和正が若い頃はオフコースで「さよなら」が大ヒットしていた!」からの続き

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18枚目のシングル「生まれ来る子供たちのために」が一番歌いたい曲だった

「オフコース」の17枚目のシングル「さよなら」が大ヒットとなった小田さんですが、

小田さんは、

別にかっこつけてるわけじゃないけど、(「さよなら」の時は)ワクワクとかそういうのはなかったな。やったぜもなかったね。ヒットするっていうのはこういうことか、さんざん言われたことを、やっと果たしたかなという感じだった。

ただ、これはおれたちのやりたかった音楽かなあっていう疑問というか、ヒット寄りに書いたという思いがあって、オフコースの代名詞のように言われたりもしたんだけど、あれはおれたち寄りの曲だったのかな、どうなんだろうなと、いまだに、ちょっとね・・・。

と、語っており、

「さよなら」がヒットし、みんなが注目してくれている今だからこそ、自分が本当に伝えたいことを込めた歌を歌いたいと、翌年の1980年3月にリリースした次の(18枚目の)シングルは、「生まれ来る子供たちのために」というメッセージソングとなっています。


「生まれ来る子供たちのために」

(小田さんは、「オフコース」が鈴木さんと二人だった頃から、愛の歌よりも、国に対する気持ち(批判)や不安などを中心に曲を書いていたそうで、それを、「生まれ来る子供たちのために」で復活させたそうですが、これが一番書きたいテーマだったそうです)

再び「Yes-No」「I LOVE YOU」「Yes-Yes-Yes」「君が、嘘を、ついた」など愛の歌でヒットを飛ばしトップスターの地位を確立

また、当時はまだ若く生意気だったため、前のヒット曲と同じような曲が売りやすいからというレコード会社的な考えで「さよなら」と同じような曲を書くことが嫌だったと語っていた小田さんですが・・・

「生まれ来る子供たちのために」をリリースしたことで吹っ切れたのか、その後は、再び、

19枚目のシングル「Yes-No」(1980年6月)


「Yes-No」

20枚目のシングル「時に愛は/僕等の時代」(1980年12月)


「時に愛は/僕等の時代」

21枚目のシングル「I LOVE YOU」(1981年6月)


「I LOVE YOU」

22枚目のシングル「愛の中へ/Christmas Day」(1981年12月)


「愛の中へ/Christmas Day」

23枚目のシングル「言葉にできない/君におくる歌」(1982年2月)


「言葉にできない/君におくる歌」

24枚目のシングル「Yes-Yes-Yes」(1982年6月)


「Yes-Yes-Yes」

25枚目のシングル「君が、嘘を、ついた」(1984年4月)


「君が、嘘を、ついた」

と、愛の歌を歌うと、次々とヒットし、トップスターの地位を不動のものにしています。

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自分と同じ感覚を持っている人とつながりたい

ちなみに、小田さんは、自分の作品を通して訴えたいことについて、「「100年インタビュー」保存版 時は待ってくれない」で、

おれはね、おれと同じ感覚をもっている人とつながりたいっていうことだと思うよ。ああ、そこにもいたんだ、そうだよねって。それでいいということ。 伝えるというけど、やっぱり同じ感覚をもっていないと絶対に伝わらないんだよね。

軟弱だって言われたり、めめしいって言われたりすることもあるけど、そういう人にはめめしくしか聞こえなかったものが、ある人にはすごく懐かしかったり、感動的だったりする言葉やフレーズとして伝わるわけだよね。それを重ねているということです。

と、語っています。

「小田和正が「オフコース」を解散した理由とは?」に続く


「100年インタビュー」保存版 時は待ってくれない

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