1952年、阪神(大阪)タイガースに入団すると、自主トレの後、甲子園の一次キャンプで、ノックの名手であり名指導者として名高かった岡田源三郎さんに特訓を受けたという、吉田義男(よしだ よしお)さんですが、吉田さんは、自分自身でも、小柄な体を生かしたスピードあるプレーを目指したといいます。
「吉田義男は阪神入団直後のキャンプでコーチに守備を絶賛されていた!」からの続き
岡田源三郎コーチにイレギュラーのゴロを捕るための特訓をしてもらっていた
阪神(大阪)タイガースに入団後、自主トレに続いて行われた甲子園の一次キャンプでは、岡田源三郎コーチが、イレギュラーのゴロを捕らせるため、ボールをトタン板にぶつけて、人工のイレギュラーバウンドを作り出すという工夫をしてくれたそうで、
吉田さんは、岡田さんの期待に応えたくて、自分なりにも工夫し、テーマを設定しながら練習に取り組んだそうです。
(現在は、野球のテレビ中継で、エラーをした際 、「土のグラウンドでは、イレギュラーバウンドがあるので、難しいですねえ」と、フォローされますが、吉田さんの時代には、イレギュラーはあって当たり前で、吉田さんは、プロならば、イレギュラーしたから捕れませんでしたで済ますのではなく、それをどう捕るか、そこにプロフェッショナルの見せ場があるのではないかと考えているそうです)
小柄な身体の生かし、スピードあるプレーを目指した
そんな吉田さんが、真っ先に考えたのは、小さい身体をハンディと捉えるのではなく、逆にそれを最大限に利用し、身体の大きい人にはできない、スピードあるプレーを目指したそうで、
- ゴロが飛んで来たら、弾丸のように飛びついて捕る
- 捕ったら、可能な限り短い時間でスローイングする
- 正確であることと同時に、すべてにおいて速いプレーを身につける
などが、吉田さんの個性を表現することであり、プロの世界で生き抜いていくために必要なことだと考えたそうです。
捕球と送球をいかに瞬時に行えるかをテーマとしていた
そこで、捕球と送球という二つの動作を、可能な限り瞬時に行う技術の習得が、吉田さんのテーマとなったそうですが、そのためには、まず、両手で捕球するという基本に忠実でなければならなかったそうで、
(グラブと利き腕を対で動かし、両手でボールを受けるのは、確実に捕球するためと、もう一つ、捕球した後、グラブの中のボールを素早く握って送球の動作に移るためでもあるそうです)
吉田さんは、練習の前後や合間の空き時間を見つけては、フェンスを相手に捕球から送球へのフォーム作りに熱中したそうで、フェンスに球を当て、跳ね返ってきた球を打球に見立て、捕球したそうで、その際、両肩と両腕で三角形を作り、その頂点に位置するポイントで捕球する形を繰り返し練習したのだそうです。
(身体と腕に空間を作って捕球したほうが、腕の自由が利いてスムーズに送球動作へと移行できるそうで、捕球はできるだけ前が良いのだそうです)
「吉田義男は阪神では新人で唯一鴨池キャンプのメンバーに選ばれていた!」に続く