ルーキーイヤー(1969年)には、オールスター前に10本塁打し、新人王を期待された、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、ファン投票ダントツ1位でオールスターに選出され、オールスターでもホームランを放っているのですが、オールスター明けは、勢いが止まり、9月中旬の時点では、新人王は絶望視されていたといいます。

「田淵幸一はルーキーでオールスターに出場しホームランを放っていた!」からの続き

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シーズン終盤9月中旬には「新人王」は無理だと言われていた

開幕2日目にいきなり2打席連続ホームランを放つと、その後も前半戦で10本のホームランを放ち、オールスターにも選出された田淵さんですが、

シーズン終盤の9月13日の時点では、打率2割2分2厘、本塁打14本、打点41と、当初の勢いからすると、物足らない数字で、各紙の新人王を予想する記事では、「新人王はまず無理」「甘くなかったプロの水」と、厳しい評価ばかりが並び、

田淵さんも、

甘く考えていた訳じゃないんですが・・・。もっといい成績が挙げられると思っていた。結果的にその考え方が甘かった

と、コメントしています。

(当時の「新人王」の条件は、打者の場合は、打率は2割5分以上、本塁打は20本以上と言われていたそうで、田淵さんがこの条件を満たすためには、残り試合で、3打数1安打以上のペースでヒットを打ち、ホームランは5試合1本のペースで打たなければならなかったそうです)

巨人のスカウト・前川八郎は田淵幸一を使いこなせない阪神に怒りをあらわにしていた

また、ドラフトで、田淵さんを阪神に横取りされた巨人のスカウト・前川八郎さんは、

田淵はまるでダメになったじゃないか。阪神の指導者は何をしていたんだ。球界の宝物をメチャメチャにして・・・。本人の考えも多少甘かったかもしれんが、育て方や熱意にも問題があるよ。田淵はあんなもんじゃないはずだ

と、阪神に対し、怒っていたそうです。

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後藤次男監督の独断で再び一塁に起用され決勝2ランホームランを放つ

そんな中、田淵さんは、9月28日、中日21回戦では、久々に、3番一塁で先発出場すると(これまでは代打出場が多かったそうです)、延長11回1死二塁で、水谷寿投手からレフトに15号2ランホームランを放ち、

(後藤次男監督は、田淵さんを捕手ではなく一塁で起用する時には、いつも、オーナーにお伺いを立てていたそうですが、この頃ぐらいから、本社上層部が水面下で次期監督として鶴岡一氏の獲得を画策していたそうで、そんな動きに、後藤監督は、ムラムラと反発心が湧き、この時は独断で一塁で起用したのだそうです)

10月3日の大洋24回戦(甲子園)では、四回無死1塁、平松政次投手の1ストライク1ボールからの3球目、真ん中低めのストレートをライナーでバックスクリーン左へ16号決勝2ランを放ったそうで、

この日、田淵さんは、

膝元の速球。あのコースのタマはいつもだとこねてしまうんだけど、今日は投手へ打ち返すつもりで振った。20本は打ちたいんです

と、意欲を語ったのでした。

「田淵幸一はルーキーのとき残15試合7本塁打で新人王を獲得していた!」に続く

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