西武監督就任1年目の1986年から3年連続でリーグ優勝&日本一を果たしていた、森祇晶(もり まさあき)さんですが、1989年は、ついに、惜しくも優勝を逃してしまいます。
「森祇晶は西武監督就任3年目もリーグ優勝&日本一となり3連覇を達成していた!」からの続き
1989年は正捕手・伊東勤のケガや工藤公康らの不調で開幕から苦しいスタートとなっていた
西武ライオンズ監督就任1年目の1986年から3年連続でリーグ優勝&日本一を果たしていた森さんですが、4年目の1989年は、正捕手の伊東勤選手が春のキャンプ中の3月1日に右足首を捻挫する大ケガを負うほか、工藤公康投手やタイラー・リー・バークレオ選手も不振で4月22日には最下位に転落。
6月25日の時点では、首位のオリックス・ブレーブスに11ゲーム差をつけられてしまいます。
(また、5月24日には二軍打撃コーチの土井正博さんが麻雀賭博で解雇されています)
渡辺智男、デストラーデなどの活躍で巻き返し優勝争いに加わる
それでも、右ヒジ手術で出遅れていた渡辺智男投手がローテーションに定着するほか、不振のバークレオ選手に代わってシーズン途中から加入したオレステス・デストラーデ選手の活躍もあり、7月には巻き返して前半最終戦で勝率を5割に戻すと、
8月には16勝7敗と大きく勝ち越し、9月16日には、ついに、単独首位に立ち、近鉄、オリックスとの三つ巴の優勝争いに加わります。
近鉄との直接対決で3連敗し自力優勝が消滅
しかし、10月に入ると、ストッパー不在の投手陣に疲れが見え始め、
10月5日のダイエー戦は、12対13で負け、
10月6日の日本ハム戦は、2対1で勝ち
10月7日のダイエー戦は、1対2で負け
10月9日のオリックス戦は、11対2で勝ち、
と、なんとか優勝戦線に留まるも、
近鉄との直接対決となった残り4試合で、初戦の10月10日、2対3で敗れると、10月12日のダブルヘッダー第1試合では、5回まで5対1とリードしながら、6回に郭泰源投手がラルフ・ブライアント選手に同点満塁ホームランを打たれると、
8回には、渡辺久信投手が、またしても、ラルフ・ブライアント選手に逆転ソロホームランを打たれ、5対6で逆転負け。
(ブライアント選手は、4回、6回、8回と、3打席連続ホームランで全6打点)
さらに、第2試合も2対14で大敗を喫して自力優勝が消滅してしまい、
最終的には、近鉄が優勝し、西武は0.5ゲーム差の3位に終わったのでした。
1989年は10月5日のダイエー戦で最終回に8点を奪われる敗戦がなければ優勝していた?
ちなみに、西武は、10月5日のダイエー戦では、3回裏の時点で8対0と大量リードしながらも、4回以降、ダイエーに小刻みに点を取られ、7回表の時点で8対5にまで迫られると、
その後、西武は2点を追加し、10対5で9回表を迎えるも、この9回表にダイエーに一挙8点を奪われ、痛恨の逆転負けを喫しており、
(西武は9回裏に2点を取り返しているのです、最終的には12対13で敗れています)
森さんは、
もし、この試合、西武がリードを守り切って勝っていれば、優勝できていたはずだった
と、語っています。
「森祇晶は堤義明に「監督やりたいんであればどうぞ」と言われていた!」に続く