1992年、野村克也監督率いるヤクルトとの日本シリーズ第1戦は、3対3で迎えた延長12回裏に、代打の杉浦享選手に日本シリーズ史上初の代打満塁サヨナラ本塁打を打たれ、敗れた、森祇晶(もり まさあき)さんですが、その後、第2戦、第3戦は連勝します。

「森祇晶は野村ヤクルトとの日本シリーズ初戦はサヨナラ敗けしていた!」からの続き

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野村ヤクルトとの日本シリーズ第2戦は2対0で勝利

1992年、「狸とタヌキの化かし合い」と評された、野村克也監督率いるヤクルトとの日本シリーズで、初戦は、日本シリーズ史上初の代打満塁サヨナラ本塁打を打たれ、敗れた、森西武ですが、

10月18日に行われた第2戦は、先発・郭泰源投手とヤクルト・荒木大輔投手の行き詰まる投手戦が展開されると、0対0で迎えた6回表には、一死から3番・秋山幸二選手が中前安打の後、4番・清原和博選手が7球目のスローカーブをすくい上げて左中間スタンド最前列に2ランホームランを叩き込み、2対0と先制。

すると、その後も、郭投手は完封ペースの投球を続けていたのですが、7回裏、先頭のハウエル選手の打球が右手に当たってしまい、降板。

それでも、潮崎哲也投手がリリーフすると、二死一二塁というピンチを招くも、笘篠賢選手を三振に打ち取って無失点で切り抜け、その後も、潮崎投手が最後までヤクルト打線を無失点に抑え、西武が2対0で勝利します。

(7回裏、ヤクルトが二死一二塁という反撃のチャンスを迎えた際、ヤクルトファンは、第1戦で日本シリーズ史上初の代打満塁サヨナラ本塁打を放った杉浦享選手の代打を期待したそうですが、野村監督は動きませんでした)

ちなみに、森さんは、

1勝1敗は上出来。伊東(勤)が投手をよくリードしてくれた

と、語り、

野村監督は、

こういう試合に限って、1球の失投で決まるもんだ

と、語っています。

野村ヤクルトとの日本シリーズ第3戦はデストラーデと石毛宏典の連続適時二塁打で2点を先制

そして、雨のため順延され、10月21日に行われた第3戦では、西武は4回裏、石井一久投手から先頭の秋山幸二選手が中前打、一死後からデストラーデ選手、石毛宏典選手の連続適時二塁打で2点を先制すると、先発の石井丈裕投手も6回までヤクルト打線を2安打に抑える素晴らしい投球を披露。

(石井丈裕投手はこのシーズン、15勝3敗、防御率1.94という素晴らしい成績を収めていました)

ただ、7回表には、ヤクルト・広沢克己選手にソロホームランを打たれ、1点を返されます。(2対1)

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野村ヤクルトとの日本シリーズ第3戦は石井丈裕投が被安打5、失点1で完投勝利

そんな中、西武は8回裏、(石井一久投手を救援し、5回から好投を続けてきた)金沢次男投手から、平野謙選手が中前打、秋山幸二選手が犠打、清原和博選手が三塁内野安打で、一死一二塁とすると、続くデストラーデ選手が中前打を放つのですが、二塁走者・平野選手が中堅の飯田哲也選手からの好返球で本塁で刺されてしまいます。

ここで、ヤクルトは金沢投手から伊東昭光投手へ継投するのですが、石毛選手が四球で出塁し二死満塁となると、続く大塚光二選手が死球押し出しで1点追加。(3対1)

さらには、伊東勤投手が2点適時打、奈良原浩選手も適時打と、3点を追加し、一気に、6対1とリードを広げると、9回表は、石井丈裕投手が無死二塁のピンチを招くも、無失点で切り抜け、西武が6対1で勝利したのでした。

(石井丈裕投手は、被安打5、失点1で、149球完投。この時点で、西武の2勝1敗)

ちなみに、森さんは、

(勝ちを計算した)投手で勝ったのは大きい

と、語り、

野村監督は、

石井のシーズン防御率は1点台。DH制を敷くパ・リーグでは考えられない数字。恐れていたことが現実になった

と、語っています。

「森祇晶は野村ヤクルトとの日本シリーズ第4戦も勝ち王手をかけていた!」に続く

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