西武ライオンズ監督7年目となる1992年も、近鉄を破って3年連続リーグ優勝を決めた、森祇晶(もり まさあき)さんは、日本シリーズでは、現役時代から同じ捕手として、しのぎを削った野村克也監督率いるヤクルトスワローズとの対戦となり、「狸とタヌキの化かし合い」と評されました。今回は、その第1戦をご紹介します。

「森祇晶の西武監督就任6年目は広島に逆転勝利で日本一になっていた!」からの続き

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1992年も2位の近鉄を突き放し3年連続リーグ優勝

1992年、森西武は、前年同様、またしても清原和博選手が開幕から打撃不振にあえぎ、4月は8勝11敗と負け越して5位に甘んじるも、5月は17勝3敗の快進撃で、6月1日に近鉄と同率首位に並ぶと、以降も、6月は12勝5敗2分、7月は13勝6敗と、快進撃は続き、球宴時には8.5ゲーム差と独走。

最終的には、9月30日には日本ハム戦に勝利し、3年連続リーグ優勝を決めます。

ヤクルトとの日本シリーズ初戦ではオレステス・デストラーデが2本塁打も・・・

そして、日本シリーズは、同じ捕手出身である野村克也監督率いるヤクルトスワローズとの対戦となったのですが、初戦は、2回表、オレステス・デストラーデ選手のライトへのソロホームランで1点を先制するも、3回裏、ヤクルトの先頭打者・笘篠賢治選手が右前安打、一死から飯田哲也選手が適時二塁打で1対1の同点に追いつかれると、続く荒井幸雄選手が右前安打で、走者の飯田選手が伊東勤捕手のタッチを巧妙にかいくぐるスライディングで生還し、2対1と逆転されてしまいます。さらには、6回裏には、古田敦也選手のレフトへのソロホームランで1点を追加され、3対1とリードを広げられます。

しかし、西武は、7回表、またしてもデストラーデ選手がこの試合2本目となるソロホームランを放ち、3対2と追い上げると、9回裏には、一死から、清原和博選手、デストラーデ選手の連続安打で一死一三塁とし、石毛宏典選手が右翼へフライを打つと、三塁ランナーの清原選手がヤクルトの古田捕手を突き飛ばさんばかりのスライディングで生還し、3対3の同点に追いつきます。

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延長12回に鹿取義隆が代打・杉浦享から日本シリーズ史上初の代打満塁サヨナラ本塁打を浴び敗戦

こうして、延長戦に入ると、3対3のまま、こう着状態が続くのですが、12回裏、ヤクルトの攻撃で、この回3イニング目となる鹿取義隆投手が、先頭の秦真司に二塁打、続く笘篠選手を敬遠、代打・角富士夫をバント失敗で打ち取った後、飯田選手に遊撃内野安打を打たれ、一死満塁のピンチを招いてしまいます。

ここで、ヤクルト野村監督が、土橋勝征選手の打順で杉浦享選手を代打に起用すると、鹿取投手は、杉浦選手を2ストライクと追い込むも、続く3球目、ウエストしようとした球が内角に甘めに。

すると、杉浦選手はこの球を見逃さず強振。打球はヤクルトファンで埋まるライトスタンドに消え、西武はサヨナラ負けを喫してしまったのでした。(7対3)

(この本塁打は、日本シリーズ史上初の代打満塁サヨナラ本塁打だったそうですが、杉浦選手は、この時40歳で、この年限りで引退を表明していました)

ちなみに、森さんは、

ショックはない。最後はホームランも犠牲フライも同じこと

と、語っています。

「森祇晶は野村ヤクルトとの日本シリーズ第2戦・第3戦は連勝していた!」に続く


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