高校卒業後、本格的に舞台女優として活動するため上京した、野沢雅子(のざわ まさこ)さんですが、所属していた劇団「東芸」の経営が苦しかったことから、その経営資金を稼ぐために、声優の仕事をやらされたといいます。

「野沢雅子は3歳の時に子役で映画デビューしていた!」からの続き

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声優デビューはテレビ初の洋画吹き替え放送で少年役だった

野沢さんは、高校卒業後は、上京し、劇団「東芸」でお芝居に打ち込んでいたそうですが、当時、劇団はどこも貧しく、劇団「東芸」も貧しかったそうです。

そこで、野沢さんは、劇団「東芸」に、声の仕事のオーディションに行かされたそうですが、オーディションで台本を渡されると、少年の役だったそうで、野沢さんは、「ふざけないでよ、私は大人の女性なのに少年?」と思ったそうですが、幸か不幸か合格したのだそうです。

(ただ、野沢さんは、劇団の経営資金を稼ぐため、仕方なく声優の仕事を始めており、当初は声優に興味がなかったことから、記念すべき声優デビュー作品を覚えていないそうです)

日本初のテレビで少年役(吹き替え)を演じた女性声優だった

こうして、野沢さんは、1956年、テレビ初の洋画吹き替え放送で、少年役として声優デビューを果たしているのですが、実は、日本で初めて洋画をテレビで放送するにあたり、少年の役(吹き替え)を誰にやらせるかが大問題になっていたのだそうです。

というのも、当時は、声の吹き替えも、録音ではなく生放送だったため、本物の子役では心もとなく、かといって、安心して任せられる年齢まで成長した男性は、変声期を過ぎて声が低くなっており使えずで、

そんな中、プロデューサーが、少年の声には女性の声帯が近いんじゃないかと言い出し、急遽、プロダクションや各劇団に声をかけ、大々的なオーディションが行われることになったのだそうです。

ちなみに、野沢さんは、

実は事前に何も聞かされていなかったので、子供役をやらされてビックリしたりもしたのですが(笑)、結果的にはテレビ初の洋画吹き替え放送に少年役として起用していただくことになりました。

というわけで、私はテレビで少年役を演じた日本で初めての女性声優ということになのかしら...?

と、語っています。

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ほとんど全ての少年役(吹き替え)が回ってきて、声優の仕事が忙しくなっていった

さておき、それからというもの、「あの人慣れてるから」と(実際には慣れていなかったそうですが)、少年の役はほとんど野沢さんのところに来るようになったそうで、声優を目指していたわけではなかったものの、いつの間にか声の仕事が忙しくなっていったのだそうです。

(当時は、西部劇の全盛期で、必ずと言っていいほど、少年が登場していたことから)

ちなみに、そのたびに、劇団の稽古を休まなければならず、片身の狭い思いをしたそうですが、劇団経営のための出稼ぎだったため、先輩は、「行っといで」と言って、快く送り出してくれたそうです。

「野沢雅子のアニメ初主演は「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎役だった!」に続く

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