「銀河鉄道999」の鉄郎、「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎、「ドラゴンボール」の孫悟空、孫悟飯、孫悟天などの声でお馴染みの、野沢雅子(のざわ まさこ)さんですが、3歳の時に子役で映画デビューし、小学3年生の時には、将来、女優になると決めていたといいます。

「野沢雅子の幼少期は活発でお転婆な女の子だった!」からの続き

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3歳の時に子役で映画デビュー

野沢さんは、叔母に佐々木清野さんという松竹の女優がいたそうですが、叔母さんは、姪っ子の野沢さんに自分の跡を継がせたいと思っていたことから、野沢さんは3歳の時から、子役として映画に出演するようになると、小学3年生の時には、自宅で、姿見の前に立ち、

私は女優になる

と、宣言していたそうで、

野沢さんは、

最初に出た映画は題名も覚えていません。母子の愛情を描いた『母もの』が多かったようです。仕事をしているという意識はありませんでしたが、父母が歌舞伎や新派の芝居が大好きでよく連れていかれたせいか、子供のころから、将来は女優になるんだと心に決めていました

と、語っています。

高1の時に叔母で女優の佐々木清野のはからいで劇団「東芸」に入団

ただ、野沢さんは、中学入学後は、映画がおもしろくないと思い始めたそうで、舞台がやりたくなって劇団に入ると、学校が休みの時には、東京に出て女優の仕事をするようになったそうで、野沢さんを映画界入りさせたかった叔母で女優の佐々木清野さんとケンカになったそうです。

それでも、野沢さんが高校1年生の時には、叔母さんは諦めてくれ、NHKのプロデューサーを紹介してくれたそうで、劇団「東芸」に入団することができたのだそうです。

(野沢さんが舞台が好きだったのは、演技をずっと続けてでき(映画は細切れに撮るため)、お客さんの反応がすぐに返ってくるからで、また、当時、映画界には五社協定があり、テレビには映画俳優は出られないことも理由の一つだったそうです)

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「堕胎医」で初舞台を踏むも老婆の役だった

こうして、初舞台を踏んだ野沢さんですが、「堕胎医」(菊田一夫作)という作品で、野沢さんの役は、80歳くらいのお手伝いさんの役だったそうで、主人公の若い娘の役(23歳ぐらい)がやりたかった野沢さんは、その主人公役だった旗和子さんという女優に、

ちょっと話を聞いてくれますか

旗さんの役は23歳で、私は80歳の、目も見えない婆さんの役です。これは難しいから旗さんがやった方がいいと思います

と、(すごく怒られることを覚悟して)言ったそうですが、

(旗さんは、テレビでも賞をもらうほど、素晴らしいお芝居をする女優だったそうで、野沢さんの尊敬する大先輩だったそうです)

旗さんはというと、

そうだね、それが当たり前だよね。だけどマコ(野沢さん)、よく聞いて。あたしは、この役しかできないんだよ。マコはどっちもできるんだよ。だからマコの方にそのお婆さん役が行ったんだ。お婆さんだってすごい役なんだからね

と、言ったそうで、

野沢さんは、尊敬する大先輩からそう言われたことが嬉しくてたまらず、「頑張ります」と言って、おばあさんの役を演じたのだそうです。

すると、公演後には、劇団内で賞をもらったそうで、どんな役でも頑張っていこうと思うようになったのだそうです。

(この「堕胎医」は、1949年、「静かなる決闘」のタイトルで、黒澤明監督が映画化しています)

「野沢雅子が声優デビューしたのは所属劇団の経営資金を稼ぐためだった!」に続く

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