「銀河鉄道999」の鉄郎、「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎、「ドラゴンボール」の孫悟空、孫悟飯、孫悟天など、人気テレビアニメの少年役を多く演じ、女性声優が少年役を演じる草分け的存在となった、野沢雅子(のざわ まさこ)さんは、少女時代、お人形遊びやおままごとよりも、原っぱで男の子とチャンバラをするのが好きな、活発でお転婆な女の子だったといいます。

「野沢雅子の父親は画家の野沢蓼洲で横山大観にかわいがられていた!」からの続き

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幼少期は父親に日本舞踊を習わされていた

野沢さんは、画家だったというお父さん、野沢蓼洲(のざわ りょうしゅう)さんと、大名の娘だったというお母さんのもと、一人っ子として誕生すると、

幼い頃は、娘の野沢さんに着物を着せたかったというお父さんに日本舞踊を習わされたそうですが、発表会の時にいろんなものをもらえるのがとても嬉しかったそうです。

ただ、同じように習わされた、三味線、お茶、お花などは、全然ダメだったそうで、いつも、花を活けずにそのまま持って帰っていたため、お母さんに、「まあちゃんのお花は、きちんと綺麗なままね」と、言われていたそうです(笑)

幼少期は活発でお転婆な女の子だった

また、野沢さんは、一人っ子で過保護に育てられたそうですが、男勝りで、お人形遊びやおままごとよりも、鉄砲や刀の方が好きだったそうで、男の子の中に一人混じって、原っぱでチャンバラばかりしているような活発でお転婆な女の子だったそうです。

(しかも、切る役が好きで、男の子に「切った、切った」と言われても、「切られていない」と言い張るなど、強情な子供だったそうです(笑))

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戦争中、疎開先だった群馬に定住していた

そんな野沢さんは、1944年、9歳の時(小学3年生の終わり頃)、太平洋戦争の戦局悪化に伴い、空襲を避けるため、一家で群馬県沼田市に疎開したそうですが、

(もともと、野沢家には田舎に親戚がおらず、疎開できなかったそうですが、隣組(太平洋戦争当時、国民統制のために作られた町内会の下位組織)の人が「うちの田舎に来てください」と誘ってくれて、ついていったのが群馬だったそうです)

群馬での生活の中、お父さんが尾瀬を描いた作品で日展に入選したこともあり、群馬への愛着が深くなり、結局、小学3年生から高校卒業まで、群馬で過ごしたそうです。

(野沢さん自身、アレルギー体質で体が弱かったため、群馬へ移住したという話も)

「野沢雅子は3歳の時に子役で映画デビューしていた!」に続く

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