舞台女優として活動するかたわら、1956年、テレビ初の洋画吹き替え放送で、少年役で声優デビューすると、その後は、テレビアニメで、「銀河鉄道999」の鉄郎、「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎、「ドラゴンボール」の孫悟空、孫悟飯、孫悟天など、人気作品のキャラクターを多く演じ、少年役を女性声優が演じる草分け的存在となった、野沢雅子(のざわ まさこ)さん。今回はそんな野沢さんのお父さんについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

野沢さんは、1936年10月25日生まれ、
東京府東京市荒川区日暮里(現在の東京都荒川区)の出身、
(群馬県利根郡(現在の沼田市)育ち(小学3年から高校卒業まで))

身長153センチ、

血液型はO型、

学歴は、
群馬県立沼田女子高等学校卒業、

趣味は、スポーツ観戦、

「野沢雅子」は本名で(結婚後は塚田)、愛称はマコさん、

ちなみに、好きな食べ物はお餅だそうで、

野沢さんは、インタビューで、

お餅が大好きで、毎日、365日食べています。一緒にご飯を食べるから、お餅は1日1個ですね。

多分、(お餅は)主食だと思います。だから1杯のご飯と同じになるんじゃないかしら(笑)。おかずとご飯を食べてから、最後に焼いたお餅を食べます。好きなものは最後に食べたいから。

と、語っています。

(お餅はシンプルにお醤油だけで食べ、海苔も巻かないそうです)

父親は画家の野沢蓼洲(のざわ りょうしゅう)

野沢さんのお父さんは、画家の野沢蓼洲(のざわ りょうしゅう)さんです。

蓼洲さんは、1889年(明治22年)、埼玉県春日部市で誕生すると、家業の小間物店を嫌って画家を志し、近代日本画壇の巨匠・川合玉堂さんに師事したそうで(川合玉堂さんの一番弟子だったそうです)、

19歳の時に初めて、帝国美術院展覧会(現在の日展)に出品すると、その作品が特選を取り、フランスで売れるなど、画家として順調なスタートを切ったそうですが、

すぐに体を悪くしてしまったため、大作が描けなくなってしまったそうで、自分の描ける範囲のものを描き、贔屓(ひいき)にしてくれる人たちに買ってもらって生計を立てていたそうです。

また、1945年には、画家の北村明道さんらと利根美術協会を設立し、初代会長を務めるほか、群馬美術協会設立にも尽力し、群馬県展委員も務めたそうですが、1964年、76歳で他界されています。

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父親の野沢蓼洲は日本画の巨匠・横山大観にかわいがられていた

ちなみに、蓼洲さんは、日本画の巨匠・横山大観さんにとてもかわいがられていたそうで、

(横山大観さんは、野沢さんが子供の頃、よく家に遊びに来ていたそうで、野沢さんにとっては、おじ様という感じだったそうです)

二人で一緒に展覧会をやろうと誘ってくれたこともあったそうですが、蓼洲さんは、「師匠が違うから、それは難しい」と断ったそうで、「じゃあ、仕方ないね」ということになり、残念ながら二人の展覧会は実現しなかったそうです。

(大観さんは、このように、きっぷのいい人だったのに対し、川合師匠はしっかりとした人だったそうで、全くタイプが違っていたそうです)

「野沢雅子の幼少期は活発でお転婆な女の子だった!」に続く

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