芸能活動をしながら、仙台のキャバクラで働き始めると、成績が1位になるほどの人気を博し、人に優しくされたり、愛されたりする喜びを知り、芸能界を辞めてお客さんと結婚しようとまで思い始めていたという、熊切あさ美(くまきり あさみ)さんですが、マネージャーにバレ、キャバクラを辞めさせられると、ほどなく(2002年5月)、バラエティ番組「踊る!さんま御殿!!」に出演した際、自身を「崖っぷちアイドル」と紹介し、一躍、ブレイクを果たします。
「熊切あさ美は若い頃キャバクラ嬢と芸能活動を兼業していた!」からの続き
「踊る!さんま御殿!!」で「崖っぷちアイドル」と自己紹介しブレイク
東京に連れ戻された熊切さんは、ほどなく(2002年)バラエティ番組「踊る!さんま御殿!!」(5月28日放送)に出演しているのですが、
最初に、明石家さんまさんに「何をやっている子?」と振られた際、「タレント」というほどテレビに出ている訳ではなく、かと言って「グラビアアイドル」というのもほかに有名な人がいっぱいいたため、それも胸を張って言えずで、とっさに、「崖っぷちアイドルです」と言ってしまったそうです。
(以前、事務所の人に「崖っぷち」と言われたことを思い出し、「崖っぷち」だと人生の迷子ということで、視聴者から反感を買うこともないのでは、と思ったのだそうです)
すると、さんまさんが面白おかしくいじってくれたそうで、そのお陰で、熊切さんは、「崖っぷちアイドル」として一躍有名になったのだそうです。
次々に仕事が舞い込み、バラエティ番組の企画で断った人の代わりを頼まれることも多くなった
すると、その後、バラエティ番組や旅番組のレギュラーなど、仕事が次々と舞い込み、忙しくなっていったそうで、「あの子、これちょっと苦手なんだって。あさ美ちゃん、やってくれる?」と、代理を頼まれることも多くなったのだそうです。
(当時の企画は何でもありで、血が出る程度ではケガじゃないというノリだったことから、現場やロケに来た人が「これできません」と土壇場で断ったりすることがよくあったそうです)
現場に到着するまで何をやらされるか分からないこともあった
また、現場に到着するまで、何をやらされるか分からないこともあったそうで、2004~2009年、お笑いコンビ「ガレッジセール(川田広樹さん、ゴリさん)」の冠番組「アドレな!ガレッジ」に出演していた際には、
「川田チーム」と「ゴリチーム」に分かれて競う企画で、「川田チーム」と聞かされて現場に向かっても、当日になって、(「ゴリチーム」の方が過激なことをするため)「ゴリチーム」の子ができないと言うと、交代して、ゴリチーム」になったこともあったそうです。
(この企画は、それぞれのチームの味方であるグラビアアイドルに無理難題をやらせて、どれだけそのアイドルのアドレナリン(ドキドキすると分泌されるというホルモン)の指数を上げられるかを競う企画だったそうです)
「熊切あさ美が若い頃は芸能界に踏み留まる為どんな仕事も引き受けていた!」に続く