1989年、高校3年生(17歳)の時、春の選抜高校野球のリポーターを務めて、テレビに初出演した、藤原紀香(ふじわら のりか)さんは、その後、大学在学中の1991年、20歳の時には、「ミス日本コンテスト」に出場すると、グランプリに輝くのですが、かねてより憧れていた芸能界入りを両親に猛反対されたといいます。

「藤原紀香は高校時代に春の選抜高校野球でリポーターを務めていた!」からの続き

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大学時代に「ミス日本コンテスト」でグランプリを獲得

紀香さんは、1991年、大学在学中のある日のこと、突然、「第24回ミス日本コンテスト」の書類選考に通過した旨の知らせを受け取ったそうで、

(お母さんが勝手に応募していたそうです)

その後、コンテストに出場すると、最終選考まで残り、見事、「第24回ミス日本コンテスト」(1992年度)でグランプリに輝いたそうです。


「第24回ミス日本コンテスト」でグランプリに輝いた紀香さん。

母親も若い頃には「ミス和歌山」に輝いていた

実は、紀香さんのお母さんは、身長が172センチと、紀香さん(171センチ)よりも高く、若い頃には、「ミス日本コンテスト」に応募すると、見事「ミス和歌山」に輝いたそうですが、

全国大会を前に、厳格だった両親(紀香さんの祖父母)に、(女は職業なんか持つなと言われて育ち)「女の子は台所に入っていればいい」と反対され、泣く泣く断念していたそうで、娘の紀香さんにその望みを託し、「お見合いの箔つけにでもなれば」と内緒で応募していたのだそうです。

(お母さんは、背が高かったため、若い頃には、ダンスホールでも男性に敬遠され、結婚は無理だと思っていたそうですが、はとこ同士だったお父さんとお見合いで結婚したそうで、娘の紀香さんにもお見合いをして欲しいと思っていたそうです)

当初は両親に芸能界入りを猛反対されていた

さておき、紀香さんは、「ミス日本コンテスト」で優勝して以来、インタビューやいろんな仕事が来るようになったそうで、かねてより憧れていた芸能界入りを希望していたそうですが、両親は猛反対。

(東京のテレビ局からアナウンサーにならないかと誘われたことがあったそうですが、テレビドラマ「抱きしめたい」の影響で、ダブルヒロインの浅野温子さんと浅野ゆう子さんに憧れていたため、女優になりたかったそうです)

特に、お父さんは、娘が上京することに猛反対したそうで(東京は鬼の住むところだと本気で思っていたそうです)、「娘が変なことを言いだした」と親族一同を巻き込む騒ぎになり、親族たちも交えて連日話し合い、諦めるよう説得されたそうですが、

それでも、最終的には、「1単位も落とさずに大学を卒業すること」と「芸能界の仕事は実家から通うこと」と「大学の講義にしっかり出る」という条件で許してくれたそうで、紀香さんは、芸能活動のため、新幹線で兵庫から東京に通うことになったのだそうです。

(この頃はモデルの仕事をしていたそうです)

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父親は絵に描いたような昭和の頑固おやじで厳しかった

ちなみに、紀香さんのお父さんは、絵に描いたような昭和の頑固おやじだそうで、紀香さんが幼い頃は、魚釣りに連れて行かれるなど、男の子のように育てられたそうですが、

さすがにこのままではまずいと思ったのか、中学から大学まで私立の女子校に入れられ、この頃あたりから突然厳しくなったそうで、

大学生の時の門限は夜の10時で、門限を過ぎてしまった時には、お父さんが木刀を持って玄関の前で仁王立ちしており、犬小屋で一晩寝かされたこともあったそうです。

(弟の貴紀さんが、お父さんに見つからないように、そっと玄関の鍵を開けてくれたこともあったそうです)

「藤原紀香は阪神淡路大震災がきっかけで上京を決意していた!」に続く

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