「長男はプロ野球の選手にしたい」との夢を持っていたお父さんのもと誕生した、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、2~3歳の頃は臆病で泣き虫だったことから、それを克服させようと、お父さんには様々な教育をされたそうですが、江川さんの臆病な性格は変わらなかったそうです。

幼少期の江川卓

「江川卓は幼少期から父親に将来野球のスター選手になると信じられていた!」からの続き

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幼少期は臆病で泣き虫だった

生まれるずっと前から、「長男はプロ野球の選手にしたい」との夢を持っていたというお父さんのもと誕生した江川さんですが、江川さんは、2~3歳の頃、ひどく臆病で泣き虫だったことから、

お父さんは、「これじゃあ、立派な野球選手になれない」と心配し、福島県の太平洋岸にある豊間灯台に連れて行くと、幼い江川さんを背負って灯台のてっぺんまで登り、海側に向かって、そのまま上体をほぼ直角に曲げ、隣にいた人にびっくりして止めに入られたことがあったそうで、

(江川さんは記憶がないそうです)

江川さんは、著書「たかが江川されど江川」で、

ひどい話である。背負われた幼い僕の目の下は、断崖絶壁だ。そうでなくても臆病な僕が、死にそうな恐怖心に襲われたのはまず間違いない。

親父にすれば、断崖を見下ろしても平然としていられるくらいの度胸を、僕につけさせようとしたらしいのだが、やることが大胆すぎる。

と、綴っています。

ちなみに、江川さんは、高所恐怖症なのですが、この幼少期の体験がその原因ではないかと考えているそうです。

(お父さんは、後に、「あれは失敗だった」と頭をかいていたそうです)

父親は臆病な息子の為に急流の天竜川を突然泳いで渡ると言い出していた

そんなお父さんは、その後も、臆病な江川さんを、なんとか強い男にしようと、数々のスパルタ教育を施したそうですが、その甲斐なく、江川さんは相変わらず臆病なままだったそうで、

江川さんが小学校に上がった年の夏のある日のこと、お父さんは、近所を流れる天竜川に連れて行き、

卓、見てろよ、パパがこれから泳いで川を渡るからな

と、言うなり、服を脱いだそうで、

江川さんは、絶対に泳ぎ切ることはできないと思い、本気で、「パパは死ぬ」と思い、「パパ、行かないで!」と泣きじゃくりながら叫んだそうです。

(天竜川は、山間の急流で、濁った表面はそれほどでもなくとも、水面下は激しい流れが渦巻いていたことから、日頃から、大人たちに「危険だから絶対に川に入っちゃいけない」と口を酸っぱくして言われていたほか、大人が泳いで渡るのも見たことがなかったのだそうです)

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父親は急流の天竜川を泳いで渡りきっていた

それでも、構わずお父さんは、急流に負けないように斜めに泳いで向こう岸までたどり着いたそうで、

(お父さんは、「不可能を可能にする」ところを江川さんに見せたかったのと、「男はこのくらいの度胸がなけりゃ、いかん」と言いたかったのだと、江川さんは解釈しているそうですが)

この出来事から、江川さんは、お父さんの存在を「絶対のもの」と思うようになったそうですが、江川さん自身は、やはり臆病なままだったそうです。

「江川卓は小6の時に川幅80mの向こう岸に投げた石が届いていた!」に続く

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