1988年オフに広島監督に就任すると、就任1年目、2年目は2位、3年目にはリーグ優勝を果たした、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが、4年目は4位、5年目は最下位に沈んでしまい、成績不振の責任を取って1993年限りで監督を辞任しています。そして、2001年には、再び広島の監督に就任するのですが・・・

広島監督時代の山本浩二

「山本浩二は津田恒美の重病でチームがまとまり優勝していた!」からの続き

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山本浩二は監督就任1,2年目は2位、3年目は優勝も、4年目は4位、5年目は最下位で辞任していた

1988年オフに広島監督に就任すると、就任1年目(1989年)、2年目(1990年)は2位、3年目(1991)にはリーグ優勝を果たした山本さんですが、

4年目(1992年)は4位、5年目(1993年)は19年ぶりの最下位に沈んでしまい、成績不振の責任を取り、1993年限りで監督を辞任しています。

山本浩二の監督就任5年目(1993年)は打線は野村謙二郎、正田耕三、前田智徳、江藤智と揃いつつあるも投手陣が壊滅状態だった

実は、広島には、山本さんと衣笠祥雄選手が引退した後は、不動の4番打者が出てきておらず、1993年に、ようやく江藤智選手を4番に固定し、打順は1番から野村謙二郎選手、正田耕三選手、前田智徳選手、江藤選手とそれなりの形となったそうですが、

(4番は、江藤選手で固定するまでは、相手投手が右なら西田真二選手、左ならロデリク・アレン選手か江藤選手を併用していたそうです)

一方、投手陣はというと、川口和久投手が勝ち頭で8勝、北別府学投手は6勝(前年14勝)、佐々岡真司投手は5勝(前年12勝)、長冨浩志投手は4勝(前年11勝)と、前年に二桁勝利した3人が振るわず、壊滅状態だったといいます。

山本浩二は松田耕平オーナーに慰留されるも成績不振の責任を取って辞任していた

とはいえ、山本さんは、

チームをつくりかえる時期。育てながらの戦いだったとはいえ、責任は監督にある。

と、辞任を申し出たそうで、

松田耕平オーナーには慰留されたそうですが、1993年限りで広島カープの監督を辞任したのでした。

山本浩二の第2期監督時代は一度もAクラスになることなく辞任していた

そんな山本さんは、1994~2000年、日本テレビ、広島テレビ、ラジオ日本で、解説者として活動すると、2001年には、球団に要請され、再び広島の監督に就任するのですが・・・

前監督時代、4番打者として育成した江藤智選手が1999年オフにFAで巨人に移籍し、4番打者が不在だったこともあってか、

2001年は4位、2002年は5位、2003年も5位、2004年も5位、そして、2005年は(12年ぶりの)最下位で、一度もAクラスになることなく、再び辞任したのでした。

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山本浩二の広島監督時代の成績

それでは、ここで、山本さんの広島カープ監督時代の成績の一覧をご紹介しましょう。

山本浩二の監督時代の成績

現役時代には素晴らしい成績を残した山本さんですが、監督としては、最初の3年間以外、全てBクラスと苦しい成績でした。

「山本浩二は金本知憲と新井貴浩を我慢して育てていた!」に続く

広島監督時代の山本浩二

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