プロ入り1年目の1979年は、「空白の一日」を巡る騒動によりペナルティを課されて6月からの登板となった中、9勝10敗、防御率2.80(リーグ3位)と、まずまずの成績を残すも、小林繁投手の、対巨人戦での無傷の8連勝を含む22勝(最多勝)9敗1セーブ、防御率2.89、投球回数273.2回というという凄まじい活躍に霞んでしまった、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、プロ入り2年目の1980年8月16日、ついに迎えた小林繁さんとの対決では、見事、完投勝利を果たしています。
「江川卓の巨人入団1年目は小林繁の大活躍に霞んでいた!」からの続き
江川卓は巨人入団2年目の1980年8月16日に小林繁と初対決していた
「空白の一日(1978年11月21日)」を利用した契約で大騒動となると、結果、1979年1月31日、一旦、阪神に入団してからすぐに、巨人のエースだった小林繁投手との交換トレードにより、念願の巨人入りを果たした江川さんは、入団2年目の1980年8月16日、後楽園球場で行われた阪神戦で小林繁さんと初対決するのですが、
この2人の「因縁の対決」を見ようと、後楽園球場にはファンが殺到したそうで、当時2100円だったA席が4万円で売られるなど、選手である江川さんでもチケットが手に入らない状態だったそうです。
(当日の午前5時にはすでにファンが21番ゲートに並んでいたそうです)
江川卓は出だしは調子が上がらなかったものの味方の援護で1対0とリードしていた
午後6時ちょうど、小雨が降りしきる中、試合が始まると、1回表、江川さんは2連続四球など、3回表まで毎回四球を与えるほか、いつものようには、なかなか三振を取れなかったものの、何とか粘りの投球をします。
一方、巨人打線は、1回裏は小林投手に三者凡退に抑えられるも、2回裏には4番の王貞治選手、5番の山本功児選手が連打すると、続く、山倉和博選手の犠牲フライで1点を先制し、江川さんを助けます。(1対0)
すると、3回裏は、巨人打線はまたも小林投手に三者凡退に抑えられるのですが、江川さんも、4回表は阪神打線を三者凡退に抑え、徐々に調子を上げていきます。
江川卓は1対1の同点に追いつかれるもその裏のチャンスで自らタイムリーヒットを放っていた
しかし、江川さんは、5回表、阪神の先頭打者の1番の加藤博一選手に中前打を打たれると、二死から4番の掛布雅之選手に二塁打を浴びて同点に追いつかれてしまいます。(1対1)
それでも、その裏には、巨人の先頭・山倉選手が内野安打し、続く河埜和正選手が犠牲バンドをすると、(降りしきる雨のせいか)小林投手が失策し、無死一、三塁に。
ここで、8番の江川さんが、小林投手の初球の内角速球を執念で右安打し、2対1と再びリードすると、続く松本匡史選手は死球、一死後、篠塚利夫選手が2点タイムリーヒット、続くホワイト選手は死球と、小林さんの乱調を誘い、4対1とリードを広げたのでした。
(小林さんは、その裏の阪神の攻撃で打順が回ると代打を送られています)
江川卓は阪神・小林繁との初対決に176球で完投勝利していた
その後、巨人は7回裏にも中畑清選手のソロで1点を追加し、5対1とリードを広げると、江川さんは、9回表には二死から阪神に、掛布選手、佐野仙好選手の連続タイムリーヒットで2点を返されるも(3対5)、176球で完投勝利を収めたのでした。
ちなみに、江川さんは、高目のホップする速球に絶対の自信を持っていたのですが(三振がとれた)、是が非でもこの試合に勝利するため、三振が取れる反面ホームランと隣り合わせだった高目の速球は捨て、速球は低めに、カーブも徹底的にコースを狙ったのだそうです。
(そのため、176球と球数が多くなったのだそうです)
1980年8月16日
巨人―阪神戦(後楽園)
阪神 000 010 002 3
巨人 010 030 10X 5
[勝]江川(10勝7敗0S)
[敗]小林(12勝6敗0S)
[本塁打]
(巨人)中畑15号