1986年、慕っていた稲尾和久監督が解任されたことをきっかけに、4対1のトレードでロッテから中日へ移籍した、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、新天地でも、好成績を残し、中日の優勝にも大きく貢献するのですが、期待された三冠王には届きませんでした。

「落合博満が中日に移籍した経緯が凄い!」からの続き

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中日移籍1年目の1987年は好成績も無冠に終わっていた

1986年オフ、中日に移籍した落合さんは、移籍1年目の1987年は、(落合さんと同じく)1985年、1986年と2年連続でセ・リーグの三冠王となっていた阪神のランディ・バース選手とのタイトル争いが注目されていましたが、

打撃の微妙かつ決定的な狂いに苦しめられるようになったそうで、打率3割3分1厘(リーグ3位)、28本塁打、85打点で、無冠に終わります。

(バース選手も無冠に終わっています)

中日移籍2年目の1988年も4番打者としてリーグ優勝に貢献するも・・・

そして、移籍2年目の1988年は、開幕から深刻な打撃不振に陥り、チーム(中日)も4月末時点では最下位に低迷していたのですが、

(6月1日には4番から外されています)

後半戦に入って、落合さんが復調すると、チーム(中日)も7月には首位に立ち、6年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献しています。

(落合さんは8月だけで3度もサヨナラ打を放つなど勝負強さを発揮し、勝利打点19、出塁率と長打率共にリーグ1位を記録しています)

ただ、三冠王を狙っていた落合さんとしては、打撃主要3部門は、打率2割9分3厘(プロ入り2年目の1980年以来の3割未満)、32本塁打、95打点で無冠に終わってしまったのでした。

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2年連続本塁打王や打点と本塁打の二冠王には輝くも三冠王には届かなかった

その後、落合さんは、

3年目の1989年は、打率3割2分1厘、40本塁打、116打点で、打点王、

4年目の1990年は、打率2割9分、34本塁打、102打点で、打点王と本塁打王の2冠王

5年目の1991年は、打率3割4分、37本塁打、91打点で、2年連続本塁打王、

6年目の1992年は、打率2割9分2厘、22本塁打、71打点、

7年目の1993年は、打率2割8分5厘、17本塁打、65打点、

と、素晴らしい成績を残しているのですが、結局、中日では、目標としていた三冠王には届きませんでした。

「落合博満は日米野球の1打席が原因で三冠王が獲れなくなっていた!」に続く

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