日本人初の全米女子プロ選手権(メジャー)覇者で、アジア人初の世界ゴルフ殿堂入りを果たしている、樋口久子(ひぐち ひさこ)さんですが、プライベートでは、2度の結婚と1度の離婚を経験しています。
今回は、そんな樋口久子さんの元夫との離婚理由、現在の夫との馴れ初め、子供(娘)についてご紹介します。
「【画像】樋口久子の若い頃は?現在までの経歴を時系列でまとめ!」からの続き
樋口久子の元夫(最初の夫)との馴れ初めは?
樋口久子さんは、1972年12月、27歳の時、プロゴルファーの松井功さん(元日本プロゴルフ協会会長)と結婚しています。
松井功さんと樋口久子さん。
二人の馴れ初めについて、詳しいことは不明ですが、松井功さんも、樋口久子さんと同じく、林由郎プロに弟子入りし、最初は東京都民ゴルフクラブで修業していたそうなので、このことが縁で知り合ったのではと思われます。
ちなみに、樋口久子さんは、川越カントリークラブのメンバーの人から、
自分が通っている練習場にいい息子がいるから、一度会いに行かないか
と、言われ、お見合いをしたことがあったそうですが、
その人とは縁がなく、当初は、顔見知り程度だったという、練習場でヘッドプロとしてレッスンしていた松井功さんと交際を始め、結婚に至ったのだそうです。
樋口久子の元夫(最初の夫)との離婚理由は?
しかし、結婚後は、樋口久子さんの仕事が忙しくなって、次第にすれ違いの生活になり、そんな中、1980年3月、樋口久子さんは流産してしまい、大きなショックを受けたそうで、思い悩んだ末、1983年に離婚したのだそうです。
ただ、憎み合って別れたわけではなかったため、樋口久子さんは、離婚後の松井功さんの家を一緒に探すなど、円満離婚だったそうで、現在も、プロゴルフ協会の仕事の関係などで会う機会も多いそうですが、会うと、お互い、普通に会話しているのだそうです。
樋口久子の現在の夫との馴れ初めは?
さておき、樋口久子さんは、1985年には、大塚克史さんと再婚しています。
(大塚克史さんの職業は不明です)
大塚克史さんとはゴルフコンペで知り合ったそうですが、その後、偶然、東京駅で再会したそうで、このことがきっかけとなり、交際を始めたのだそうです。
(週刊誌にマークされるのが嫌だったため、デートはもっぱら、ゴルフ場だったそうです)
ちなみに、樋口久子さんは、大塚克史さんとは、優しいところ、ゴルフへの理解があること、子供が欲しかったことから、再婚したのだそうです。
樋口久子は42歳で高齢出産していた
そんな樋口久子さんは、1988年、42歳の時、女の子(久仁子さん)を出産しているのですが、高齢出産にもかかわらず、2年足らずの産休でツアーに復帰したそうです。
(ご主人の理解があったのと、米女子ツアーには出産後もゴルフを続けているママさん選手がいることを知り、自分もそうしなければいけないと感じていたのだそうです)
ただ、まだ幼かった久仁子さんは、樋口久子さんが家を出るたびに泣き、足にすがりついてきたそうで、樋口久子さんは、後ろ髪をひかれる思いで、家族やベビーシッターに預けてコースに向かったのだそうです。
樋口久子さんと娘の久仁子さん。
そして、ラウンドが終わると、久仁子さんの元気な声が聞きたくて、1日に何度もクラブハウスやホテルから家へ電話したそうですが、久仁子さんは大きくなるにつれ電話口に出てくれなくなったそうで、
樋口久子さんは、久仁子さんが 「ゴルフに母親を奪われた」との思いが強かったのだろうと理解しているのだそうです。
樋口久子は娘・久仁子にゴルフを否定されていた
また、樋口久子さんは、久仁子さんが小学5、6年生の頃、
一緒にゴルフをやらない?
と、誘ったことがあったそうですが、
久仁子さんには、
私と同じ(寂しさを味わう)子供ができるのは嫌だから、やらない
と、断られたそうで、とてもショックを受けたそうです。
そして、1997年に女子プロゴルフ協会の会長に就任すると、仕事と子育ての両立に悩み、
家にいて、もっと一緒に過ごすようにする
と、言ったそうですが、
久仁子さんには、
今さらそんなことをしても遅い
と、拒否されたこともあったのだそうです。
ただ、そんな久仁子さんも20歳を過ぎてからクラブを握るようになり、一緒にプレーするようになったそうで、お母さんである樋口久子さんの思いが伝わったのかもしれません。
ちなみに、樋口久子さんは、「結婚したから、出産したから、成績が悪くなった」と言われることが一番嫌だったそうで、
私は、どんなことでも完璧主義。プロとして下手なゴルフは見せたくありません。独身時代のような練習量は維持できなくても、家を出たらプロゴルファー、帰宅したら主婦と気持ちを切り替えて家事と子育てに集中しました。
外出前に帰宅時刻を計算し、夕食の下準備をしておくような工夫もしていました。それでも娘が熱を出したり、風邪をひいたりと、ゴルフのコースマネジメントのようにはいかないこともありました。
と、語っています。