66歳の時にはうつ病と診断されるも、家族のサポートなどもあり克服すると、その後は、闘病経験を元に、80歳まで、執筆や講演活動を精力的に行っていたという、小川宏(おがわ ひろし)さんですが、晩年は病気の連続で、2016年11月29日、他界されています。

また、小川宏さんは、うつ病で自殺未遂をしているのですが、それは身内の裏切りが原因だったといいます。

今回は、そんな小川宏さんの壮絶だったうつ病体験、その後、晩年、死因についてご紹介します。

小川宏

「小川宏の妻との馴れ初めは?老老介護されていた!子供は息子1人と娘2人!」からの続き

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小川宏は65歳の時にうつ病の症状が出始めるも当初は風邪だと思っていた

小川宏さんは、1991年、65歳の秋頃からうつ病の症状が出始めたそうですが、当初はそれに気が付かず、ただの風邪だと思っていたそうです。

ただ、いっこうに良くならず、とにかくだるく、何をするにも億劫だったそうで、

小川宏さんは、その時のことを、

とにかく、お風呂に入るのも疲れるのでいや、食欲もない。人に会うのもだるいので会合などもすべて欠席していました。

あまりの体調不良に、友人の医師を訪ねたのですが、特に悪いところも見当たらず、今度、神経科の先生を紹介しましょうと言われたまま、お互い忙しくて、のびのびになっていたんです。

と、語っています。

小川宏は妻に遺書を書いて渡すも、相手にされなかった

そんな小川宏さんは、年が明けた1992年1月31日、なんと、奥さんに遺書を書いて渡す、という行動に出たといいます。

ただ、それを受け取った奥さんは、冗談だと思って、ニヤッと笑い、

これは認め印がないので認められませんね

と言って、相手にしてくれなかったそうです。

しかし、小川宏さんは、この時、もし、奥さんにすごく心配されていたら、余計に落ち込んだかもしれないと、奥さんがさらりと流してくれたことをありがたく思ったそうで、この時は、自分でもそれほど深刻な病気だとは気が付かなかったのだそうです。

小川宏は線路脇に立ち電車が来るたびに飛び込もうと思っていた

そんな中、この年(1992年)3月16日早朝4時頃に目が覚めると、寝床でうつらうつらしながら、ふと、理由もなく、今日、「それ」を決行しようと思ったそうで、そっと起き、新調したスーツを着て、1人で家を出たそうです。

(小川宏さんは、とても冷静だったそうです)

すると、いつの間にか、家から5~6分の所にある踏切の前に立っていたそうで、1時間くらい電車を見過ごし(電車が来るたびに「死のう」と思い、飛び込もうとしたそうです)、いよいよ、決行しようと思った、その時、

NHK時代の知り合いだった山谷親平さんの

自殺は愚かものの行為なり

という言葉が頭をよぎったそうで、

急に奥さんや子どもたちの顔が浮かび、小川宏さんは、線路に飛び込むのを思いとどまったのだそうです。

小川宏はうつ病と診断されていた

小川宏さんは、その直後、本当に死ななくて良かったと本気で思ったそうで、体はタコのようにヘロヘロになり、しばらく立ち上がることができなかったそうですが、

家にやっとの思いでたどり着くと、門の前で、奥さんが心配そうに立っており、「どうしたの?」と聞かれたため、小川宏さんが事情を話したところ、とにかく病院に行こうということになったそうです。

そして、小川宏さんは、医療機関を受診すると、

小川さん、即刻入院して下さい。病名はうつ病で、軽くはありません

と、言われ、

その日から約3ヶ月、入院することになったそうです。

ちなみに、うつ病で入院中、小川宏さんは、作家の遠藤周作さんと対談しているのですが、その際、

病気とは、生活の上での苦しみであって、人生の挫折ではない

と、意見が一致したそうで、

このことにより、少し気持ちが楽になったそうです。

小川宏のうつ病は身内に裏切られたことが原因だった

その後、小川宏さんは、家族のサポートもあり、無事、うつ病から回復しているのですが、

小川宏さんは、うつ病になった原因について、

僕はわりとストレスをためてない方だと思っていたので、うつ病にかかるはずがないと思っていたんです。でも、気が付かないうちにストレスがたまっていたんでしょうね。

考えてみれば、信用していた身内に裏切られたりして、これには本当に参ってしまいました。身内で、信じていたものからの痛手でしたし、金銭的な問題がたちまち自分たちにのしかかってきましたしね。

自分サイドの身内ということで、女房にも申し訳ない、すまないと言う気持ちにもなってしまい、ま、これが最大のストレスの原因だったんですね。

と、語っています。

(小川宏さんは、1965年にフリー転身後、節税対策でプロダクションを設立すると、身内に実印を預けて一切を任せたそうですが、その身内が小川さんの預金を勝手に引き出して、株や不動産に投資し、億単位の借金を残して他界したそうで、9千万円あった貯金も全て失ってしまったのだそうです)

小川宏の晩年は次々と病気に見舞われ、入退院を繰り返していた

そんな小川宏さんは、うつ病克服後は自身の体験をもとに講演活動や本の出版などを精力的に行っていのですが、

2006年、80歳頃から、頸椎(けいつい)や前立腺の病気のほか、皮膚病の膿疱性乾癬(のうほうせいかんせん)など、次々と病気に見舞われ、入退院を繰り返し、手術も受けていたといいます。

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小川宏の死因は?

そんな中、小川宏さんは、2016年10月半ば、肺炎と軽い心不全で入院し、集中治療室に入ると、一旦は持ち直したものの、内臓の働きや体力が徐々に低下したそうで、11月28日には、大好きなアイスクリームも「いらない」というほど体力は落ちていたといいます。

また、11月29日の朝には、グルメだった小川宏さんを元気づけようと、

家族が、

きょうは11・29(いい肉)の日だからスキヤキにしようか

と、話しかけると、

小川宏さんは、

はい

と、返事をしたそうですが、

最後は呼吸が荒くなり、この日、奥さんや子供たち家族全員が見守る中、多臓器不全により、静かに息を引き取ったのだそうです。

ちなみに、次女の三佐子さんは、

糖尿病など持病はありましたが、80歳まで講演などの仕事もこなしました。最晩年まで日本酒やビールを少しですが飲んでいましたし、大往生だと思います

と、語っています。

お読みいただきありがとうございました

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