「サザエさん」のワカメちゃん、「ドラえもん」のしずかちゃんの声の出演で、一躍、お茶の間の人気を博すと、夫・内海賢二さんが声優事務所「賢プロダクション」を設立後は、徐々にその経営の手伝いに重きを置くようになり、現在は、後進育成のためにスクールを運営し、自ら指導にあたっているという、野村道子(のむら みちこ)さん。

今回は、そんな野村道子さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

野村道子

「野村道子の生い立ちは?中学高校は演劇部!20代前半はお天気お姉さんだった!」からの続き

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野村道子の20代の頃は「マッハGoGoGo」ほか

21、22歳の頃は子供の声を務めることが多かった

野村道子さんは、21、22歳くらいの頃から声優の仕事をしているそうですが、当初は、「そのくらいの娘だったら、子供役ができるだろう」という理由で子供の声を務めることが多かったそうで、その後も、

  • 1963年(25歳)「鉄腕アトム」
  • 1964年(26歳)「オオカミ少年ケン」
  • 1965年(27歳)「宇宙パトロールホッパ」
  • 1965年(27歳)「ジャングル大帝」(1965年版)2シリーズ
  • 1966年(28歳)「おそ松くん」

などのアニメで、子供や若い人物の声の出演をしています。

(いずれも役柄不明)

29歳の時には「パーマン」「マッハGoGoGo」などヒットアニメの声の出演

また、野村道子さんは、1967年、29歳の時には、アニメ「パーマン」で、サブの声、


アニメ「パーマン」より。左端が「サブ」。

アニメ「マッハGoGoGo(1967年版)」で、志村ミチ役(3代目)など、ヒットアニメで次々と声の出演をしています。

マッハGoGoGo(1967年版)
左が「志村ミチ」。

野村道子の30代の頃は「サザエさん」の磯野ワカメ(ワカメちゃん)ほか

32歳、33歳の時には「昆虫物語 みなしごハッチ」「さるとびエッちゃん」「タイガーマスク」などにも声優として出演

そんな野村道子さんは、その後も、1970年「昆虫物語 みなしごハッチ」(アーヤ役)、1971年「さるとびエッちゃん」(エツ子役)、「タイガーマスク」(若月ルリ子役)で、声の出演をしています。

「昆虫物語 みなしごハッチ」
「昆虫物語 みなしごハッチ」より。

38歳の時にアニメ「サザエさん」の磯野ワカメ(ワカメちゃん)役でお茶の間の人気を博していた

そして、野村道子さんは、1976年、38歳の時には、アニメ「サザエさん」の磯野ワカメ(ワカメちゃん)役で、お茶の間の人気者となっています。

(以降、2005年まで33年間という長きに渡り、ワカメちゃんの声を演じています)

磯野ワカメ
「サザエさん」より。

ちなみに、野村道子さんは、「サザエさん」の収録現場について、

『サザエさん』は、職人の集まりという感じで、収録現場で集まり、収録が終われば、パッと散っていくんですね

と、語っているのですが、

一度だけ、女性メンバーだけで旅行したことがあったそうで、

最初で最後の旅行でした。フネさん役の麻生(美代子)さんが『親戚が島根県で旅館をやっているから、みんなで行こう』と誘ってくれて。出雲大社に行って、大根島の牡丹園で、みんなで牡丹の花を買ったりしたんです

とも語っており、一番の思い出になっているそうです。

野村道子の40代の頃は「ドラえもん」の源静香(しずかちゃん)ほか

41歳の時にはアニメ「ドラえもん」の源静香(しずかちゃん)役で知名度が上昇していた

また、野村道子さんは、1979年、41歳の時には、アニメ「ドラえもん」の源静香(しずかちゃん)役に起用されると、「サザエさん」とともに、国民的アニメのメインキャラクターを演じたことで、声優として一気に知名度をあげています。

源静香
「ドラえもん」より。

ちなみに、野村道子さんは、ワカメちゃんとしずかちゃんの声を演じたことについて、

『サザエさん』のワカメちゃんは難しい役でしたね。作りすぎると浮いちゃうし、自然な芝居だけでは子供にならないし、可愛らしさも必要で。やればやるほど難しさを感じました。

しずかちゃんの方は声も合っていたのかな。得意な役柄でしたからやりやすく、本当に深く掘り下げていろんな面が出せるんですよね。

この前ね「ワカメちゃんとしずかちゃんは同じ声優さんだったんですか?」とビックリされて。声優としては「やったぜ!」みたいな感じでした(笑)。

と、語っています。

46歳の時に夫・内海賢二の設立した「賢プロダクション」に移籍

その後、野村道子さんは、1984年6月、46歳の時には、夫の内海賢二さんが声優事務所「賢プロダクション」を設立したことから、(声優活動のかたわら)経営を手伝うために、それまで所属していた「青二プロダクション」から「賢プロダクション」に移籍したそうですが、

野村道子さんは、経営のことは何も分からず(お金の借り方も分からなかったため、本当に大変だったそうです)、人手が足りないからと、マネージャーを雇っては「今日からよろしくね」と、研修もしないで現場に送り出していたそうで、

結局、仕事の売り込みもできないまま、2~3ヶ月に1回、マネージャーが入れ替わる状況だったことから、「これではまずい」と思い、「賢プロダクション」1本に専念しようと、声優の仕事は「サザエさん」と「ドラえもん」だけにして、ほかのレギュラーだった声優の仕事を辞め、事務所経営に専念したそうです。

野村道子の50代の頃

こうして、野村道子さんは、約10年かけて、会社の基礎を作り上げたそうですが、今度は、経理担当者が1千万円使い込んでいたことが発覚したそうで、

野村道子さんは、

ハンコもすべて預けるほど信頼して、親友だと信じていた女性の裏切りに、まさかという思い。裁判は3年近く続きましたが、相手側が自己破産し、お金は戻ってきませんでした。

さらに同時期、その女性が中心となった独立騒動もあり、ある日、会社に行くと、マネージャー5人のうち、4人が次々に退職届を持ってきたんです

と、語っています。

そんな状況に、野村道子さんは、誰もいなくなり、ガランとしたオフィスを見て、「ここまでか」と弱気になったそうですが、

夫の内海賢二さんがいて、大学を卒業した長男の内海賢太郎さんが入社してくれたことで、もう一度、家族3人で立ち上がろうと思ったのだそうです。

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野村道子の60代~80代(現在)

その後、野村道子さんは、1998年、61歳の時には、「賢プロダクション」付属の養成所「スクールデュオ」をスタートさせると、後進の育成に取り組むほか、イベント企画・制作等のプロデューサー業、加藤みどりさん(サザエさんの声優)と立ち上げた女性だけの朗読集団「みどりぐみ」でも精力的な活動を展開しています。

実は、「賢プロダクション」のスクール運営を始めたのは、仲間の裏切りにあった経験から、「賢プロダクション」を強くするため、自社で声優の原石を見つけ、しっかりスターに磨き上げるのが大事だと痛感したからだそうで、2020年、82歳の現在も、自ら指導にあたっているといいます。

(そのため、スクールの採算は度外視しており、授業料は、業界でもかなり安いと自負しているそうです)

野村道子
2020年、後進の育成に取り組む野村道子さん。

また、野村道子さんは、「サザエさん」と「ドラえもん」の放送が終了したら、(「賢プロダクション」の経営に専念するため)声優の仕事を全部やめようと思っていたそうですが、思ったよりも長寿番組になったため、この2つは続けたそうで、

2005年、67歳の時、「ドラえもん」の新キャスト移行に伴って降板すると、これをきっかけに「サザエさん」も同時に降板させてもらったそうで、

野村道子さんは、声優業を辞めたことについて、

声優業に未練ですか?(夫の)内海がね、「これからもっとおもしろい仕事もきっと出てくるから、引退ではなく開店休業中にしておけば」って言ってくれたんですけどね…。でも、プロダクション業のほうもすごくおもしろいんですよ。

と、語っています。

(野村道子さんの、「サザエさん」の出演は29年、「ドラえもん」への出演は26年にも及びました)

また、スクールの経営について、

みんなとってもかわいいんですよ。だって一生懸命なんですもん!去年までは何でもない普通の子が、「私の台本は?」なんて言うようになるんですからね(笑)。

「アルバイトをしなくてよくなりました」って言ってくれたり。なんとかこの道だけで早く生活できるようにしてあげたい。そして息の長い役者に育てたい。それが私の生き甲斐です。

と、語っており、

野村道子さんの夢はまだまだ続きそうです。

「野村道子の夫・内海賢二との馴れ初めは?子供は内海賢太郎(一人息子)!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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