アニメ「北斗の拳」のラオウの声を演じていた声優・内海賢二さんを父親に、「ドラえもん」でしずかちゃんの声を演じていた声優・野村道子さんを母親に持ち、現在は、声優事務所「株式会社 賢プロダクション」の代表取締役社長を務める、内海賢太郎(うつみ けんたろう)さん。

今回は、そんな内海賢太郎さんの幼少期から声優事務所「株式会社 賢プロダクション」に入社するまでの経緯、現在についてご紹介します。

内海賢太郎

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内海賢太郎は父・内海賢二に過保護に育てられていた

内海賢太郎さんは、1974年12月12日、声優の内海賢二さんと野村道子さんの長男(一人っ子)として誕生すると、お父さんの内海賢二さんには、よちよち歩きを始めても、すぐに抱っこされたり、転んでもすぐに起こしてもらったりと、とても過保護に育てられたそうで、

内海賢太郎さんは、そんなお父さんについて、

父は3歳の時に両親を亡くしているので、親との思い出がありません。親としてどう接すればいいのか?と試行錯誤していたのかもしれません。子供ながらに気を遣ってるようにも感じていました。

と、語っています。

内海賢太郎
幼い頃の内海賢太郎さんとお父さんの内海賢二さん。

内海賢太郎は小学生の頃には父・内海賢二に学校に行く途中の駅まで自転車で送ってもらっていた

また、内海賢太郎さんが小学生の頃には、お父さんの内海賢二さんは、仕事がとても忙しい時期だったため、学校から帰ってきても、家にほとんどいなかったそうですが、

登校する朝7時くらいになると、家から駅まで約10分ほどの距離を自転車で送ってくれたそうで、内海賢太郎さんにとって、この時間が一番ホッとする時間だったそうです。

ちなみに、お父さんは、お酒が好きで朝まで飲んでいる日もあったそうですが、嫌な顔一つせずに自転車で送ってくれたそうで、内海賢太郎さんはこのことから、大切なことは、長い時間一緒にいることではなく、一緒にいる時間にどれだけ愛情を注ぐか、ということを大人になって気付いたそうです。

内海賢太郎は小学生の時には両親の仕事場(スタジオ)に連れて行かれていた

内海賢太郎さんは、両親が仕事をしていたため、幼い頃は、おばあちゃんに預けられていたそうですが、おばあちゃんが亡くなると、

小学生の時には、(夜に子供を預かってくれるところが見つからなかったため)お母さんやお父さんに仕事場(スタジオ)に連れて行かれたそうです。

(お母さんには、ロビーで待ってるよう言われたそうですが、お父さんは、スタジオの中まで連れて行ってくれたそうです)

内海賢太郎は中学・高校生の時にも父・内海賢二に反抗したことはなかった

また、内海賢太郎さんは、お父さんが、アニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛の声を演じていたことから、学校で友達に、「お前の父ちゃんもスケベなのか?」と、言われたり、

お母さんが、アニメ「ドラえもん」でしずかちゃんの声を演じていたことから、「お風呂が好きなんだろ?」と言われたことがあったそうですが、

それで、みんなからイジメられたり、からかわれたことはなく、むしろ、「すごいんだね!」と言われていたそうで、内海賢太郎さんにとって、内海賢二さんは自慢のお父さんで、中学生、高校生になっても反抗したことはなかったそうです。

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内海賢太郎は大学卒業後に声優事務所「賢プロダクション」に入社

ただ、内海賢太郎さんは、両親と同じ、声優やアニメの道に進むことは考えておらず、大学4年生の時には、音楽関係の仕事に就きたいと考えていたそうですが、

お父さんが設立した声優事務所「株式会賢プロダクション」のスタッフが一斉に辞めるという分裂騒動が起きて事務所がピンチになり、両親が苦しんでいる姿を見て、手伝うしかない、とアルバイトで入社したそうです。

(普段は、弱みを見せないお父さんが号泣している姿を見て、とてもショックだったそうです)

以降、家族3人で会社を立て直すと、現在、内海賢太郎さんは、「株式会社 賢プロダクション」の代表取締役社長を務めており、2024年には、無事、創業40周年を迎えたことをSNSで報告しています。

お読みいただきありがとうございました

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