1975年、25歳の時に、少女漫画雑誌「なかよし」に連載した「キャンディ・キャンディ」が爆発的なヒットを記録すると、以降、魅力的な作品を次々と世に送り出し、世界が認める漫画界のレジェンドの地位を確立した、いがらしゆみこさん。
今回は、そんないがらしゆみこさんの若い頃から現在までの作品や経歴を、漫画家デビューから時系列でまとめてみました。
「いがらしゆみこの生い立ちは?幼少期から絵を描くのが好きで高2で漫画家を目指し上京していた!」からの続き
いがらしゆみこは10代の(高校3年)時に「白い鮫のいる島」で漫画家デビュー
いがらしゆみこさんは、1968年、高校3年生の時、「りぼん」増刊号に掲載された「白い鮫のいる島」で漫画家デビューを果たしています。(五十岸(いそぎし)ひとみ名義)
「白い鮫のいる島」より。
ちなみに、いがらしゆみこさんは、デビュー後、仕事が忙しく、学校が遠のいていたことがあったそうですが、
担任の先生が、
学校だけは卒業しろ
と、言って、心配してくれたそうで、
そのことが、漫画家になってからも良い思い出になっているそうです。
いがらしゆみこは20代の時に「キャンディ♡キャンディ」が大ヒットし、一大ブームを巻き起こしていた
22歳~24歳の時には少女漫画雑誌「なかよし」専属の漫画家として「ばんざい先生」等を連載
以降、いがらしゆみこさんは、「なかよし」(講談社)専属の漫画家として活動し、
- 1972年「ばんざい先生」
- 1973年「ひとつ屋根の歌」
- 1974年「敦子のあしたは」
- 1974年「ひとりぼっちの太陽」
などの作品を発表しています。
「ばんざい先生」より。
22歳の時には少女漫画雑誌「なかよし」に連載した「キャンディ♡キャンディ」が一大ブームを巻き起こしていた
そんないがらしゆみこさんは、1975年、25歳の時には、水木杏子さん(原作者)とタッグを組み、少女漫画雑誌「なかよし」に「キャンディ♡キャンディ」を連載すると、たちまちブームを巻き起こし、少女漫画家として、一躍、人気を博します。
そして、1976年にはテレビアニメ化されると、その効果で、原作も当時発売されていた6巻までで計900万部を突破するほか、1978年4月発売の7巻は初版100万部が売れ、単行本の累計発行部数は1200万部を突破する大ヒットを記録。
さらに、「キャンディ♡キャンディ」は、看板作品として「なかよし」の売上を牽引し、「なかよし」は「キャンディ♡キャンディ」連載中の1976年新年号で発行部数100万部を達成する大ヒットとなったのでした。
「キャンディ♡キャンディ」より。
29歳の時には少女漫画雑誌「なかよし」で「メイミー♥エンジェル」を連載
また、いがらしゆみこさんは、1979年、29歳の時には、少女漫画雑誌「なかよし」で「メイミー♥エンジェル」を連載しています。
「メイミー♥エンジェル」より。
いがらしゆみこが30代の時には「はずんでリボンちゃん」「ジョージィ!」「パロスの剣」を連載
31歳の時には「はずんでリボンちゃん」を連載
そんないがらしゆみこさんは、1981年、31歳の時には、幼年誌「幼稚園」(小学館)で「はずんでリボンちゃん」を連載しています。
「はずんでリボンちゃん」より。
32歳の時には「週刊少女コミック」に「ジョージィ!」を連載
そして、1982年、32歳の時には、「週刊少女コミック」に「ジョージィ!」を連載すると、翌年の1983年には、「レディジョージィ」のタイトルでテレビアニメ化されています。
「ジョージィ!」より。
36歳の時には少女漫画雑誌「ASUKA」で「パロスの剣」を連載
また、いがらしゆみこさんは、1986年、36歳の時には、少女漫画雑誌「ASUKA」で「パロスの剣」を連載しているのですが、
もともとは、栗本薫さん原作の大長編小説「グイン・サーガ」シリーズの世界観を漫画化にしたものだそうで、いがらしゆみこさんの歴代作品のキャラクターが密かに登場していることも見どころとなっているそうです。
「パロスの剣」より。
(この「パロスの剣」は、後に栗本薫さんの手により同名で小説化もされており、その小説版の挿絵はいがらしゆみこさんが担当しています)
いがらしゆみこが40代の時には「ちゃお」で「ムカムカパラダイス!」を連載
そんないがらしゆみこさんは、1993年、43歳の時には、ローティーン向け少女漫画雑誌「ちゃお」で「ムカムカパラダイス!」を連載すると、同年には、テレビアニメ化もされています。
「ムカムカパラダイス!」より。
いがらしゆみこが40代~50代の時はレディースコミック誌や女性誌などで「アンナ・カレーニナ」「ボヴァリー夫人」「赤毛のアン」を執筆
また、いがらしゆみこさんは、少女漫画雑誌、幼年誌で執筆後は、
- 1997年(47歳)「アンナ・カレーニナ」(原作・レフ・トルストイ)
- 1997年(47歳)「ボヴァリー夫人」(原作・フローベール)
- 1997年(47歳)「赤毛のアン」(原作・L・M・モンゴメリ)
- 1998年(48歳)「アンの青春」(原作・L・M・モンゴメリ)
- 1998年(48歳)「アンの愛情」(原作・L・M・モンゴメリ)
- 2003年(53歳)「デイジー・メイ」(原作・エマ・ダーシー(ハーレクイン・イマージュ)
- 2003年(53歳)「大人になるまで」(原作・レイ・マイケルズ(ハーレクイン・イマージュ)
など、レディースコミック誌や女性誌などにも作品を執筆し、活動の幅を広げています。
「赤毛のアン」より。
いがらしゆみこが60代の時には「薔薇のジョゼフィーヌ」を連載
61歳の時に女性向け漫画雑誌「プリンセスGOLD」で「薔薇のジョゼフィーヌ」を連載
そんないがらしゆみこさんは、2011年、61歳の時には、日本では悪女として知られている、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの生涯を描いた「薔薇のジョゼフィーヌ」を女性向け漫画雑誌「プリンセスGOLD」で連載しているのですが、
いがらしゆみこさんは、「薔薇のジョゼフィーヌ」を連載するにあたり、
(ジョゼフィーヌは)フランスでは可愛い女性として人気がある。その部分を紹介していきたい
と、語っています。
「薔薇のジョゼフィーヌ」より。
61歳の時に「JapanExpo2011」にメインゲストとして参加
また、いがらしゆみこさんは、同年(2011年)には、漫画やアニメなどの日本文化を紹介する欧州最大のイベント「JapanExpo2011」にメインゲストの一人として招かれ、講演やサイン会を行っています。
いがらしゆみこは現在(70代)も「エレクトラ」を発表するなど精力的に活動中
70歳の時には週刊誌「女性自身」で「エレクトラ」を連載
そんな、いがらしゆみこさんは、2020年、70歳の時には、週刊誌「女性自身」で「エレクトラ」を連載しています。
「エレクトラ」より。
73歳の時にはアート展「いがらしゆみこの世界」を開催
そして、2023年、73歳の時には、画業55周年記念として、東京・渋谷で、アート展「いがらしゆみこの世界 インスピレーション展 with キャロラインちゃん 55th Aniversary」を開催しています。
「いがらしゆみこの元夫は井上和彦!離婚理由は?子供は息子(いがらし奈波)と娘!」に続く
1975年、少女漫画「キャンディ・キャンディ」で大ブレイクを果たすと、以降、「ジョージィ!」「メイミーエンジェル」など、次々と作品を発表し続け、70代の現在も精力的に活動している、いがらしゆみこさんですが、プライベートで …