1968年、高校3年生の時に、「白い鮫のいる島」で漫画家デビューすると、以降、「キャンディ・キャンディ」「ジョージィ!」「メイミーエンジェル」などを連載し、その美しく華やかなイラストで、10代の少女を中心に絶大な人気を博した、いがらしゆみこさん。

そんないがらしゆみこさんは、幼い頃から絵を描くことが大好きで、中学時代から漫画を描くことに没頭するようになると、高校で出会った漫画の上手な先輩・忠津陽子さんがプロになるまでの姿を目の当たりにし、自分も漫画家になりたいと、高校2年の時、最後の一年が待ちきれず上京したといいます。

今回は、いがらしゆみこさんの、生い立ち(幼少期から高校時代まで)をご紹介します。

いがらしゆみこ

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いがらしゆみこのプロフィール

いがらしゆみこさんは、1950年8月26日生まれ、
北海道旭川市の出身、

血液型はA(AO)型、

本名は、五十嵐優美子(読み方同じ)

学歴は、
帯広市立光南小学校
⇒室蘭市立蘭東中学校(現・桜蘭中学校)
⇒北海道札幌旭丘高等学校
⇒潤徳女子高等学校編入・卒業

だそうです。

いがらしゆみは国鉄官舎で生まれ育っていた

いがらしゆみこさんは、国鉄(現在のJR)職員のお父さんのもと、北海道・旭川の春光町で、2人姉妹の長女として誕生すると、幼い頃は、国鉄官舎の二階で暮らしていたそうですが、

この官舎は当時としては大きな建物だったそうで、炊事場や洗濯場、物干し場が共同という作りになっていて、まっすぐに伸びた廊下がとても広く、子どもたちの遊び場になっていたそうです。

また、そこに住んでいる人たち全員が顔見知りだったため、鍵もかけず、ドアも開けっ放しで、お互いの家を自由に行き来していたそうで、そんな自由な環境で、いがらしゆみこさんは育ったのだそうです。

(ただ、お父さんの仕事の関係で、それから3年ごとに転勤で引っ越しを繰り返したそうです)

いがらしゆみこは幼い頃から絵を描くことが大好きで上手だった

そんないがらしゆみこさんは、幼い頃から絵を描くことが大好きで、しかも上手だったことから、わら半紙やチラシの裏に絵を描くと、いつも褒められていたそうです。

また、いがらしゆみこさんの描いた絵が、幼稚園の壁に飾られたこともあったそうです。

いがらしゆみこは小学校高学年の時は担任の指導のお陰で自由にのびのびと勉強ができていた

その後、小学校に入学する時には、札幌にあるお父さんの実家に一家で引っ越しをすると、小学4年生の時には、帯広の鉄道官舎に引っ越し、小学校6年生まで住んでいたそうですが、小学校では、担任の竹中先生がとてもよくしてくれたそうで、

いがらしゆみこさんが、通学途中に捕まえた昆虫や植物の名前を尋ねた際には、

授業を抜けていいから図書館で調べてきなさい

と、言ってくれ、

いがらしゆみこさんは、観察ノートを書いて提出したりしていたそうで、竹中先生のおかげで、自由にのびのびと勉強することができたのだそうです。

ちなみに、いがらしゆみこさんは、恩師・竹中先生に指導してもらったことについて、

おかげで図書館が大好きになったし、向学心が芽生えたのもそれがきっかけです。目に入るものすべてが好奇心の対象で、あらゆるものがキラキラ輝いて見えましたね

と、語っています。

いがらしゆみこは中学に入学した頃から漫画を描くことに夢中になっていた

また、いがらしゆみこさんは、中学入学時には、またしても、お父さんの転勤で室蘭市に引っ越しをし、室蘭市立蘭東(現・桜蘭)中学校に入学したそうですが、

この頃、漫画を描くことに没頭するようになったそうで、両親におねだりして、プロの漫画家が添削してくれるという、少女漫画雑誌「マーガレット」の通信教育を始めたのだそうです。

(漫画教材セットには、ケント紙、ペン、テキストがあり、それまで、わら半紙で漫画を描いていたいがらしゆみこさんは、漫画というものは、わら半紙ではなく、ケント紙に墨汁をつけたペンで描くのだと、この時、初めて知ったのだそうです)

いがらしゆみこは中学時代には投稿したイラストがたびたび掲載され、漫画を描くことにのめり込んでいった

こうして、いがらしゆみこさんは、学校から帰ると、せっせとイラストのようなものを描き続けたそうで、そのうち、雑誌に投稿してみようと思うようになり、投稿するとすぐに掲載されたそうで、

ますます、やる気になり、「投稿」⇒「掲載される」を繰り返すうち、どんどん、漫画を描くことにのめり込んでいったのだそうです。

いがらしゆみこは高校1年生の時に忠津陽子と出会い意気投合していた

そんないがらしゆみこさんは、中学3年生の3学期になると、受験準備のため、再び、札幌のお父さんの実家に引っ越すと、北海道札幌旭丘高等学校に入学したそうで、美術部に入部したそうですが、

美術部には、びっくりするぐらい絵が上手な3年生の先輩・忠津陽子さんと出会ったそうで、漫画好きな2人はすぐに意気投合し、一緒に漫画を描くようになったのだそうです。

(北海道札幌旭丘高等学校は進学校だったそうですが、いがらしゆみこさんは、勉強よりも漫画を描くことに明け暮れていたそうです)

いがらしゆみこは高校時代に親友の忠津陽子の上京が決まるのを目の当たりにしていた

そんなある日のこと、忠津陽子さんは、「別冊マーガレット」の新人賞に応募すると、すんなり入選し、すぐさま、東京から出版社の編集者が北海道に飛んできて、上京が決まったそうですが、

ちょうど同じ頃、近所の漫画仲間だった大和和紀さんも上京が決まったそうで、

いがらしゆみこさんは、友人の2人が目の前で劇的に夢が叶っていくのを見て、

上京すれば私も夢が叶う

と、思うようになったのだそうです。

(忠津陽子さんは、後に、「別冊マーガレット」や「週刊マーガレット」に「美人はいかが?」などを執筆すると、可愛らしい絵柄とポップな作風で一世を風靡し、1970年代の「マーガレット」を代表する漫画家として人気を博しました。また、大和和紀さんは、後に「はいからさんが通る」「ヨコハマ物語」「N.Y.小町」「あさきゆめみし」などを執筆し、その繊細でありながらダイナミックな美しい絵は、今もなお多くのファンを魅了しています)

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いがらしゆみこは高校2年の終わりに漫画家を目指して上京していた

そこで、いがらしゆみこさんも、漫画家になりたい一心で、学校や両親、周囲の大人たちを説得し、

必ず高校を卒業する

という条件で、許してもらうと、

高校2年生の終わりには上京し、東京の潤徳女子高等学校に編入したのだそうです。

すると、いがらしゆみこさんは、編入してすぐに、理解ある先生に巡り合ったそうで、

その先生は、

夢を持って遠いところから来た子は初めて。1人で来て偉いね

と、励ましてくれたそうで、

いがらしゆみこさんは、先生に見守られながら高校生活を送ることができたのだそうです。

「【画像】いがらしゆみこの若い頃は?漫画家デビューから現在までの作品や経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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