「タッチ」「みゆき」「H2」などの作品を「週刊少年サンデー」に連載すると、野球に恋愛を絡めたラブコメディ的なストーリーと、少女漫画のようなソフトタッチな作風が絶大な支持を得て、人気漫画家としての地位を確立した、あだち充(あだち みつる)さん。

今回は、そんなあだち充さんの若い頃から現在までの作品や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。

あだち充

「あだち充の生い立ちは?小中学時代は天才兄弟として兄と共に有名だった!」からの続き

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あだち充は10代の時に短編漫画「消えた爆音」でデビュー

19歳の時に短編漫画「消えた爆音」でデビュー

「COM」編集部から、同誌に連載を持っていた石井いさみさんを紹介してもらったあだち充さんは、高校卒業前の1969年初春、18歳の時、石井いさみさんのアシスタントとして働くために上京すると、

面接の当日、石井いさみさんが小学館の「週刊少年サンデー」で「くたばれ!!涙くん」を連載していることを知り、これが「週刊少年サンデー」との出会いとなったそうで、

あだち充さんは、石井いさみさんに小学館に連れて行ってもらった際、「デラックス少年サンデー」の編集長から「これをやりなさい」と原作を渡され、石井いさみさんのアシスタントをしながら半年ほどかけて読み切り短編漫画「消えた爆音」を描き上げると、1970年、19歳の時、商業誌デビューを果たしたのだそうです。(原作は北沢力さん)

(あだち充さんは1969年に一時帰郷して高校を卒業しています)

あだち充の「消えた爆音」
「消えた爆音」より。

石井いさみの紹介で編集者の武居俊樹と出会っていた

また、あだち充さんは、この時期、石井いさみさんの紹介で編集者の武居俊樹さんと出会ったそうですが、

武居俊樹さんは、あだち充さんの絵を一目見た瞬間、

こいつが『サンデー』のエースになる!

と、思ったそうで、

あだち充さんは、武居俊樹さんに生活の面倒まで見てもらったのだそうです。

(編集者の亀井修さんもまた、あだち充さんの絵の上手さと独特の間の取り方が、新人離れしていると、才能を感じたそうで、あだち充さんの担当を決める際には、自ら希望したそうですが、先輩だった武居俊樹さんがやりたいと言ったため、先輩に譲ったのだそうです)

ちなみに、武居俊樹さんは、赤塚不二夫さんの担当をしていたそうで、1969年には、赤塚不二夫さんから、

この人、絶対、明日のスターだよ、サンデーに描かせな

と、石井いさみさんを紹介されたそうですが、石井いさみさんの担当にはなれなかったそうです。

ただ、石井いさみさんは、「少年サンデー」で「くたばれ!!涙くん」の連載をスタートしており、2人は同志のような関係となったそうで、武居俊樹さんは、石井いさみさんから、あだち充さんを紹介してもらったのだそうです。

あだち充が20代の時は「ナイン」「みゆき」が大ヒット

20歳~23歳の時に描いた漫画(劇画調)はヒットしなかった

そんなあだち充さんは、デビュー後しばらくは、佐々木守さんややまさき十三さんなどの漫画原作者と組んだ作品を中心に発表し、当時のブームであった劇画調の少年漫画を執筆していたそうですが・・・

(「少年サンデー」も、当時ブームだった劇画作家が欲しかったため、あだち充さんを劇画家として育てようとしていたそうです)

あだち充さんの描いた漫画はヒットせず、人気も一向に上がらなかったそうで、

ついに、1970年代前半には、「少年サンデー」編集長に、

うちでは、もうあだち充は使わない

と、宣言されてしまったのだそうです。

24歳の時に「週刊少女コミック」へ異動し萩尾望都ら新進気鋭の漫画家の影響を受けていた

その後、あだち充さんは、1975年、24歳の時には、武居俊樹さんに引き取られる形で、少女漫画雑誌「週刊少女コミック」へ異動したそうですが、

「週刊少女コミック」では、のちに「花の24年組」と呼ばれる、萩尾望都さん、竹宮惠子さん、大島弓子さんなどが、しっかりと、革新的な漫画を発表していたこともあり、あだち充さんは、無理にヒットを狙わず、気負わずに漫画を描くことができたそうです。

また、同世代の萩尾望都さんたちの作品に影響されたこともあり、次第に自分の描きたいものを見つけ出していったのだそうです。

(萩尾望都さんたちは新しい漫画表現を試行錯誤していたそうで、今で言う「BL(ボーイズラブ)」などを描いていたそうです)

27歳の時に短編漫画「居候よりひとこと」を発表

そんなあだち充さんは、「週刊少女コミック」でも原作のある漫画を描いていたそうですが、やがて、「牙戦」(1975)を最後に、劇画調のタッチからソフトタッチへと変化していき、1978年、27歳の時には、読み切り短編漫画「居候よりひとこと」を発表したのだそうです。

あだち充の「居候よりひとこと」
「居候よりひとこと」

ちなみに、ストーリーは、4姉妹のいる銭湯で働き始めた主人公のドタバタコメディで、これを発展させた作品が、後に、ヒットした「陽当り良好」(1980年)なのだそうです。

27歳の時に「少年サンデー増刊号」に「ナイン」を発表

そして、1978年、27歳の時には、再び、少年誌へ戻ると、同年には、「少年サンデー増刊号」に、初のオリジナルで、高校野球を題材とした「ナイン」を発表すると、

少女漫画の雰囲気を少年漫画に持ち込んだことで、高い評価を得たのでした。

あだち充の「ナイン」
「ナイン」より。

(「ナイン」の第1話は、もともと、読み切り漫画として描かれたものを、編集長が気に入り、連載化したのだそうです)

29歳の時に「少年ビッグコミック」に連載した「みゆき」が大ヒット

そんなあだち充さんは、1980年、29歳の時には、「少年ビッグコミック」に「みゆき」を発表すると、どこにでもいる平凡な男の子が全くタイプの違う美少女2人から愛される夢のようなラブコメディがウケ、

2020年4月時点で、累計発行部数2500万部を記録する大ヒットとなったのでした。

あだち充の「みゆき」
「みゆき」より。

「みゆき」のモデルは歌手の中島みゆきだった

ちなみに、「みゆき」のモデルは歌手の中島みゆきさんだったそうで、

(アイディアを出したのは、あだち充さんの担当者だったKさんだったそうです)

講談社の編集者だった石井徹さんの著書「マンガ最強の教科書」には、

ある時Kさんが中島みゆきのコンサートに行った。そこでびっくりした。中島みゆきの曲はたいがい『暗い』けれど、コンサートでトーク中の中島みゆきは超『明るい』。コンサートが終わって会場の外に出た瞬間、設定が浮かんだのだそうです。

『同じ名前で、まったく違う性格の女の子ふたりに、主人公が好かれたら面白いのではないか』と。あとの細かいことは、歩きながら記憶のフラッシュバックのように浮かんだそうです。だからタイトルは『みゆき』なのです

と、綴られています。

一方、あだち充さんは、「みゆき」について、2012年のインタビューで、

単にかわいい妹を描きたかったんですよ。妹がいない自分の妄想です(笑)。で、スポーツ抜きでどれだけもたせられるかなぁ、というところではじめたんですけどね・・・持ちました!

と、語っています。

29歳の時に少女漫画雑誌「週刊少女コミック」で「陽当り良好」を連載

また、あだち充さんは、1980年、29歳の時には、「週刊少女コミック」で「陽当り良好」を発表しています。

あだち充の「陽当り良好」
「陽当り良好」より。

あだち充が30代の時には「タッチ」が大ヒット

30歳の時に「週刊少年サンデー」に連載した「タッチ」がブームを巻き起こしていた

そんなあだち充さんは、1981年、30歳の時には、「週刊少年サンデー」に、高校野球を題材に双子の兄弟である上杉達也・和也と幼馴染の浅倉南の3人の恋愛を描いた「タッチ」を発表すると、

たちまち、ブームを巻き起こし、人気漫画家としての地位を確立しています。

ちなみに、「タッチ」の連載時の単行本の初版は200万部なのですが、その後、ロングセラーとなり、単行本や文庫本などを合計した2004年12月時点でのコミックス総売上は1億部を突破しており、あだち充さんの最大のヒット作となっています。

あだち充の「タッチ」
「タッチ」より。

(この時、あだち充さんは、隔週の「みゆき」と週刊の「タッチ」を同時進行で描いていたそうです)

ちなみに、あだち充さんは、「タッチ」の発想について、

『ナイン』のような話を週刊誌のペースでやれば、形も変わるだろう

「『ナイン』の担当からの引継ぎだったし、『週刊少年サンデー』なんで、野球マンガにしようかなというぐらい。で、あとはヒロインの南をかわいく描きたいなあという、いつものアレです(笑)

と、語っています。

36歳の時に「週刊少年サンデー」に「ラフ」を連載

また、あだち充さんは、1987年、36歳の時には、「週刊少年サンデー」で高校競泳界をテーマにした「ラフ」を連載しています。

あだち充の「ラフ」
「ラフ」より。

あだち充が40代の時には「週刊少年サンデー」で連載した「H2」が大ヒット

そんなあだち充さんは、1992年、41歳の時には、「週刊少年サンデー」で、2人の少年と2人のヒロインの野球にかける青春と恋を描いた「H2」を連載すると、

2018年8月時点で、シリーズ累計発行部数が5500万部を突破する大ヒットを記録しています。

あだち充の「H2」
「H2」より。

(「H2」とは「ヒーローふたり、ヒロインふたり」という意味だそうです)

あだち充が50代の時には「クロスゲーム」「QあんどA」

54歳の時に「週刊少年サンデー」に「クロスゲーム」を連載

あだち充さんは、2005年、54歳の時には、「週刊少年サンデー」で、高校野球をテーマに、主人公の少年とその幼馴染の四姉妹との青春、スポーツの爽やかさ、ほろ苦さを描いた、「クロスゲーム」を連載しています。

あだち充の「クロスゲーム」
「クロスゲーム」より。

58歳の時に月刊誌「ゲッサン」に「QあんどA」を連載

その後、あだち充さんは、長い間、主戦場だった「週刊少年サンデー」を離れ、月刊誌「ゲッサン」に活動の場を移すと、2009年、58歳の時には、「QあんどA」を連載しています。

あだち充の「QあんどA 」
「QあんどA」より。

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あだち充の60代~70代(現在)は「MIX」を月刊誌「ゲッサン」に連載中

そんなあだち充さんは、2012年、61歳の時には、月刊誌「ゲッサン」6月号より、「タッチ」から約30年後の明青学園を舞台に、すっかり低迷した明青学園の野球部に入部した同い年の義兄弟2人が、上杉達也らを擁した年以来の甲子園出場を目指す姿を描いた野球漫画「MIX」を描き始め、2024年(73歳)現在も連載中です。

ちなみに、連載が開始された6月号は品薄状態となり、増刷されるも追いつかないほどの大ヒットを記録したそうで、

(それを受けて、第1話は、「ゲッサン」の2012年7月号と「週刊少年サンデー」の2012年28号に再掲載されたそうです)

2019年4月時点で、コミックスの累計発行部数は電子版を含め800万部を突破しているといいます。

あだち充の「MIX」
「MIX」

お読みいただきありがとうございました

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