「オバケのQ太郎」が大ヒットしたことで、一躍、「藤子不二雄」として有名になった、藤本弘さんと安孫子素雄さんのお二人は、その後も、「パーマン」「忍者ハットリくん」「21エモン」「ウメ星デンカ」と発表。そして、「ドラえもん」で大ブレイクを果たすのですが、そんなブレイクの最中、突然、お二人は「コンビ解消」を発表されます。
その理由について調べてみました。

「藤子不二雄は昔は干されてた?オバケのQ太郎も9回で打ち切り?」からの続き

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解散(コンビ解消)

「藤子不二雄」こと、藤本弘さんと安孫子素雄さんのお二人は、1987年、突如「解散(コンビ解消)」を発表し、世間を驚かせます。

そして、その理由については、

実際一緒に作品を描いたのは最初の頃だけで、以降はお互いが別々に作品を描いては藤子不二雄の名前で発表していたものですから、もうここらへんで、お互いに「藤子不二雄のネーム・バリューに頼らず一本立ちしていってもいいんじゃないか」と話し合いコンビを解消しました。

私たちはお互い50ン才。もうあんまりアトがありません。新しい展開としてそれぞれがやりたいことをやってみるのも面白いんじゃないかと思ったわけです

と発表されており、

後の安孫子さんのインタビューでも、

当時、周りから「喧嘩別れをしたんだろう」といろいろいわれましたが、そんなことはなにもなかった。

漫才コンビはコンビをつくるために一緒になるが、ボクらはたまたま偶然知り合って漫画を描き始めたんで、ふたりの間には打ち合わせも契約もなかった。

藤本君がいいものを描くと、ボクもいいもの描かないと悪いなあという気持ちで描いてきたんです。お互い相乗効果で四十年やってきたんですが、そろそろ漫画家として定年近くになったので、このへんで思いきって一人になってやろう、ということでそれぞれ独立したのです

(収入の問題で)トラブルは一切ありませんでした。(中略)二人とも漫画を描くことが大好きで、そのまま漫画家になった、という感じでプロの意識がなかった。

と、決して、収入格差やケンカ別れしたわけではないことを強調されていたのですが・・・

コンビ解消の本当の理由は?

実は、本当の解散(コンビ解消)の理由は、ほかにあったというのです。

それは、ずばり、お二人の「家族(親族)」

これまで、お二人は、作品の関与の度合いには関係なく、「藤子不二雄」として著作権料はほぼ折半にされていたのですが、

コンビ解消の直前の1986年、藤本さんが「胃潰瘍」(実は胃ガンだったが藤本さんは知らされていなかった)の手術を受け、その後も肝臓を悪くして通院されるなど、体調が悪化したことで、

もし自分が死んだら、これまでのように友情だけで収入を折半にすることは、藤本家全体が納得せず、「ドラえもん」の巨額の著作権料を巡って、家族同士で揉めるのではないか

と、家族同士のトラブルを避けるために解散し、明確に著作権を分離しておかなければならないと、考えられたというのです。

実際、コンビ解消前のお二人の納税額はほぼ同じだったのですが、コンビ解消後の納税額は、圧倒的に藤本さんの方が多くなったほか、

藤本さんの死後、お二人の合作である「オバケのQ太郎」が絶版状態になっても、未亡人である藤本正子さんの許可が下りないことから、復刊できない状態となっており(2009年にようやく復刊されています)、藤本さんの判断は正しかったのでした。


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(藤本正子さんが許可を出さなかったのは、「ドラえもん」連載の途中から、お二人の事務所「藤子スタジオ」の社長に、我孫子さんのお姉さんの松野喜多枝さんが就任して以来、スタジオのパワーバランスが我孫子さんに傾いていたことが原因と言われています。)

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少年時代からずっと続いた友情

これだけを聞くと、やはり、「金」か・・・となりますが、

お二人は、1978年「コロコロデラックス1 ドラえもん 藤子不二雄の世界」で、

安孫子「そういえば、ぼくらの漫画は、主人公二人っていうのが多いな。」
藤本 「『ドラえもんとのび太』『オバQと正ちゃん』……」
安孫子「やっぱり、何でも打ち明けられて、信頼し合えるっていう友だち関係は、すごく好きだなぁ。」
藤本 「ぼくたち同士、なが年の友だちだし、そういったことが自然に作品に反映されるのかもしれないね。」
安孫子「ジャイアンみたいないじめっ子だって友だちなんだというのっていいなあ、やっぱり。」
藤本 「これからも二人で一人、仲良く描き続けていきたいね。」
安孫子「楽しい漫画を力いっぱいいっしょうけんめい描こう!」

と、語り合っておられ、

実際、コンビ解消後も、藤本さんは、海外旅行に行くたび、我孫子さんにお土産をプレゼントされ、我孫子さんもまた、自宅の応接間にそのお土産を飾っておられたほか、

子供の頃から映画好きだったお二人は、しばしば、映画の試写会で顔を合わされるなど、交友関係は続けられたのでした。

さて、いかがでしたでしょうか。

自身の死を感じ、家族のしがらみでコンビを解消されたとはいえ、それまで、36年もの間、圧倒的な「ドラえもん」の収入を折半にされてきた藤本さんの無欲さは凄すぎるの一言。

ただ、そんな真っ直ぐ過ぎる藤本さん(白い藤子不二雄)だからこそ、ちょっと世俗にまみれた我孫子さん(黒い藤子不二雄)という相方も、「ドラえもん」の大ブレイクには不可欠だったに違いありません。

この機会に、親友を思い浮かべながら、『お二人』の傑作「ドラえもん」をご覧になってはいかがでしょう♪

「藤子不二雄aとfの違いは性格の違い?未発表作品ほかSF短編エッセイも!」に続く

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