1966年、「パンチ野郎」で女優デビューすると、1967年には、「ウルトラセブン」のアンヌ隊員で、一躍、子供たちに人気を博し、以降、映画「妹」、テレビドラマ「プレイガール」「必殺仕切人」などに出演した、ひし美ゆり子(ひしみ ゆりこ)さん。
そんなひし美ゆり子さんは、高校時代は、陸上部の選手として練習に明け暮れる日々を送っていたそうですが、高校2年生の時、クラスメイトが内緒で東宝主催の「ミス東京セニョリータ」コンテストに、ひし美ゆり子さんの写真を応募し、合格したことから、軽い気持ちで第一次審査を受けに行くと、第一次審査、第二次審査をクリアし、見事準優勝に輝いたそうで、
このことがきっかけとなり、後日、カメラテストを受けると合格し、「第6期オール東宝ニュータレント」(東宝ニューフェイス」の後進)に選ばれて芸能界に入ったのだそうです。
今回は、ひし美ゆり子さんの、生い立ち(幼少期から東宝ニューフェイス合格まで)をご紹介します。
ひし美ゆり子のプロフィール
ひし美ゆり子さんは、1947年6月10日生まれ、
東京都中野区鷺宮1丁目(現・若宮1丁目)出身、
身長158センチ、
血液型はO型
学歴は、
中野区立北中野中学校
⇒藤村女子高等学校中退
本名及び旧芸名は、「菱見地谷子」(ひしみ ちやこ)で、結婚後は「境屋地谷子」
だそうです。
ひし美ゆり子は7歳の時に父親が事業に失敗し転居していた
ひし美ゆり子さんは、手動式拡大コピー機の会社「スミラ工藝社」を経営するお父さんのもと、東京都中野区に、4人きょうだい(兄2人と姉が1人)の末っ子として誕生したそうですが、
お父さんが事業に失敗し、1954年8月、ひし美ゆり子さんが7歳の時には、負債処理のために中野の家を引き払い、三鷹市牟礼(現・井の頭4丁目)に転居したそうです。
ひし美ゆり子は高校時代は陸上の選手として活躍していた
ひし美ゆり子さんは、高校時代は、勉強よりもスポーツが好きで、特に、ダイナミックに体を動かすことが好きだったことから、陸上部に所属し、ほとんど毎日、練習に明け暮れていたそうです。
ちなみに、ひし美ゆり子さんは、ハードルの選手で、当時、住んでいた東京都中野区の大会で優勝したこともあるそうです。
ひし美ゆり子は高校2年生の時に身に覚えのない「ミス東京セニョリータ」一次審査合格通知を受け取っていた
そんな中、高校2年生の2月も終わりに近いある日のこと、学校から帰宅して自室に入ると、机の上に1通の手紙が置かれていたそうで、封を開けて読むと
ミス東京セニョリータ一次審査合格
あなたは一次写真審査に合格しました。つきましては、最終審査を日比谷の芸術劇場で行います。水着持参でいらしてください
というようなことが書かれていたそうです。
ただ、ひし美ゆり子さんには、まったく身に覚えがなく、何かの間違いだと思い、宛名を確認したそうですが、紛れもなく、ひし美ゆり子さんの本名が書かれていたのだそうです。
ひし美ゆり子が高校2年生の時にはクラスメイトが内緒で「ミス東京セニョリータ」コンテストに応募していた
そこで、翌日、クラスメイトにそのことを話すと、クラスメイトの一人が、ひし美ゆり子さんに内緒で、東宝が主催するコンテスト「ミス東京セニョリータ」にひし美ゆり子さんの写真(みんなで遊びに行った時にふざけて撮った写真)を送っていたことが分かったそうで、
クラスメイトたちに嬉しそうにはやしたてられる中、口では、「えー、ダメだよ私なんか」と言いつつ、気を良くしたひし美ゆり子さんは、コンテストに行くだけでも行ってみようと、軽い気持ちで参加することにしたのだそうです。
ひし美ゆり子は高校2年生の時にコンテスト「ミス東京セニョリータ」に参加するも場違いな自分が恥ずかしかった
そして、コンテストの当日、会場に到着し、ドアを開けて中に入ると、参加者たちの色とりどりに着飾った華やかな衣装が目に飛び込んできたそうで、
化粧っ気なしのすっぴんで、おまけに制服姿という地味な格好だったひし美ゆり子さんは、調子に乗って遊び半分でノコノコやってきた自分がたまらなく恥ずかしくなったそうです。
(頬が真っ赤に火照っていることが分かったそうです)
それでも、逃げ出したくなる気持ちを抑え、なんとか、一次審査である「(審査員の前を)歩くこと」は、どうやって歩けばいいのか分からないながらも、無我夢中でやりきったのだそうです。
ひし美ゆり子は高校2年生の時に水着審査が嫌でコンテストを途中で逃げ出していた
それでも、第二審査である水着の審査では、きれいに髪をセットし、それにマッチした明るい色の口紅をつけ、まばゆいくらいにパッと花が咲いたような美しさを放っていたほかの参加者たちに対し、
ひし美ゆり子さんはというと、スイミングキャップをかぶれば今すぐにでも水泳大会に出場できそうな地味な水着姿だったそうで、鏡に映った自分の姿を見て愕然としていると、
そんな中、セリフが書いた紙が配られ、授業中に教科書を読まされるだけでもドキドキと緊張していたひし美ゆり子さんは、今度こそダメだと思い、もうやめて帰ろうと、水着の上から制服をひっかぶって、そっと会場からロビーに逃げ出したのだそうです。
ひし美ゆり子は高校2年生の時に「ミス東京セニョリータ」の準優勝に輝いていた
すると、ロビーの一角に、コンテストの参加者全員がもらえるらしい、賞品が山積みされていたそうで、とても自分のお小遣いでは買うことのできない賞品の山に、ひし美ゆり子さんはすっかり目がくらんだそうで、
ひし美ゆり子さんは、何事もなかったかのようにコンテストに戻ると、セリフを読む審査では、素人なのだから下手くそは当たり前と開き直り、恥も外聞もない体当たりの熱演を繰り広げ、見事、準優勝に輝いたのだそうです。
(ひし美ゆり子さんは、準優勝に輝いたことで、参加賞どころか、ステレオ、ミシン、真珠のネックレスなどの賞品をもらったそうで、まるでシンデレラのような気分になったそうです)
そして、これをきっかけに、ひし美ゆり子さんは、後日、カメラテストに呼ばれると、こちらも見事合格したそうで、「第6期オール東宝ニュータレント」(東宝ニューフェイスの後身)に選ばれ、東宝に入社したのだそうです。
「【画像】ひし美ゆり子の若い頃は?デビューから現在までの出演作品や経歴を時系列まとめ!」に続く
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