「人恋酒場」「みちづれ」「恋・・・情念」「お岩木山」「里の秋」などの代表曲で、人に安心感と活力を与える歌声が”ビタミンボイス”と言われている、三山ひろし(みやま ひろし)さん。
そんな三山ひろしさんは、演歌が好きだったおばあちゃんの影響で、3歳から演歌を歌い始めると、中学1年生の時には、演歌歌手を志すようになったそうですが、
高校3年生の時、「NHKのど自慢」に出場し、吉幾三さんの「雪國」を歌ったところ、鐘2つだったことから、素質がないのだと思い、歌手への道を断念していたといいます。
今回は、三山ひろしさんの生い立ち(幼少期から修業時代まで)をご紹介します。
三山ひろしのプロフィール
三山ひろしさんは、1980年9月17日生まれ、
高知県南国市の出身、
身長170センチ、
血液型はAB型、
学歴は、
南国市立長岡小学校
⇒南国市立鳶ヶ池中学校
⇒高知県立山田高校卒業
特技はけん玉、
趣味はカブト虫の飼育で、ブリーダー顔負けの知識を持っているそうです。
三山ひろしの本名は?芸名の由来は?
ちなみに、三山ひろしさんの本名は、「恒石正彰(つねいし まさあき)」で、愛称は、「けん玉さん」だそうですが、
芸名の由来は、出身の高知県が三方を山に囲まれていることから、「三山」、師匠の中村典正さんの別名が「山口ひろし」のため、「ひろし」となったのだそうです。
三山ひろしは3歳の時から祖母の影響で演歌を歌っていた
三山ひろしさんは、演歌が好きだったおばあちゃんの影響で、3歳から演歌を歌っていたそうですが、
おばあちゃんがカラオケで川中美幸さんの「越前岬」などの演歌を一生懸命練習している姿を見て、三山ひろしさんもマイクを持って歌うことが楽しいと思うようになったそうです。
(三山ひろしさんは、おばあちゃんの影響で、高知県の酒の席でよく歌われる、美幌健さんの「おいらの船は300トン」、三橋美智也さんの「哀愁列車」、春日八郎さんの「別れの一本杉」など、少し古い演歌をよく聴いていたそうです)
三山ひろしは中学1年生の時に両親が離婚して貧しい暮らしのなか演歌歌手を夢見るようになっていた
そんな中、三山ひろしさんが小学生の時には両親が離婚し、祖父母、母、弟の5人で暮らすようになったそうで、中学1年生の時には、貧しい家計を支えるため、新聞配達を始めたそうですが、
大好きな演歌が心の支えになったそうで、いつしか演歌歌手になることを夢見るようになったそうです。
そして、地元のカラオケ大会や夏祭りの大会などに出場しては、オーブントースター、扇風機、電動歯ブラシ、スイカ一玊など、数々の賞品をゲットしたそうで、
三山ひろしさんは、その時のことを、
大会で唄っているときは、「いいぞ~!」って声がかかったり、見てくださっている方が笑顔だったり、というのがとても嬉しかったですね。もちろん、賞品も嬉しかったです(笑)
と、語っています。
三山ひろしは18歳の時に「NHKのど自慢」で「雪國」を歌唱した際、鐘2つだったことから歌手の道を断念していた
しかし、18歳の時、高知の県民文化ホールで開催された「NHKのど自慢」に出場し、吉幾三さんの「雪國」を歌った際、「♪追いかけて~」くらいまで唄った時に、鐘が「カーン」と鳴り、鐘2つだったそうで、
自分には素質がないのだと思い、歌手への道はあきらめて、地元で働きながら暮らしていこうと思ったのだそうです。
三山ひろしは高校卒業後はガソリンスタンドに就職するも祖母に勧められ詩吟教室に通い始めていた
こうして、三山ひろしさんは、高校卒業後は、歌を完全に辞め、地元のガソリンスタンドに就職したそうですが、
おばあちゃんには、
もったいない
もったいない
と、ずっと言われ、
絶対、歌手になったら大物になれるから、しっかり今から勉強して、歌わないとか言わず頑張りなさい
と、言われていたそうで、
そんな中、おばあちゃんに勧められ、一緒に詩吟教室に通い始めると、面白く、続けているうち、気がつくと、大会ではいろいろな賞を受賞し、
また、それ以上に、詩吟の世界に引き込まれ、
やっぱり歌っていいな
と、思うようになり、
歌を歌うなら、やはり、演歌が歌いたいと思うようになったそうで、
三山ひろしさんは、
漢詩にふれて、理解できてくると、自分の考えはなんて小さいんだろう、小さなことで悔やんでいたんだなぁと思えてきたんです。
歌手になれないって簡単にあきらめてしまったけれど、ちょっと待てよ。3歳の頃から歌手になりたい夢を持っていたんじゃないのか?
それがたった一回、鐘ふたつだっただけであきらめてしまうのか・・・。そう考えているうちに歌手への夢、歌への情熱を思い出しました。
と、語っています。
(三山ひろしさんは、詩吟の師匠になることも勧められたそうですが、これを断り、演歌の道に進むことを決意したそうです)
三山ひろしは23歳の時に「NHKのど自慢」の土佐清水大会でチャンピオンに輝いていた
そんな三山ひろしさんは、ガソリンスタンドで働きながら、2004年1月、23歳の時、地元の高知県で開催された「NHKのど自慢」の土佐清水大会に、再度、挑戦し、氷川きよしさんの「白雲の城」を歌うと、見事、チャンピオンに輝き、
同年3月、東京渋谷のNHKホールで行われた「2003年度 NHKのど自慢 グランドチャンピオン大会」にも出場したのでした。
三山ひろしは25歳で上京し松前ひろ子・中村典正夫妻のもとで修業を積んでいた
そして、25歳の夏、演歌歌手を目指して上京すると、当初は、葛西の青果市場に勤めていたそうですが、夜中の3時から昼の12時ぐらいまで仕事があったことから、疲れ果て、歌の練習ができなかったそうで、
何のために東京に来たのか分からなくなり、半月ほどで辞め、仕事を探していると、1週間ぐらい経った頃、知人の紹介で、演歌歌手の松前ひろ子さん(北島三郎さんのいとこ)の店「LIVEレストラン青山」でウエイターとして働くことになったそうで、
このことがきっかけとなり、松前ひろ子さんとその夫で作曲家の中村典正さんのもと修業をすることになったのだそうです。
「【画像】三山ひろしの若い頃は?デビューから現在までの代表曲や経歴を時系列まとめ!」に続く
松前ひろ子さん&中村典正さん夫妻のもと、3年間修業し、2009年6月3日、「人恋酒場」でデビューすると、2012年11月2日にリリースした5枚目のシングル「男のうそ」がオリコン演歌チャート初の1位を記録し、その後も、20 …