1970年、南こうせつさん、大島三平さんの3人で「南高節とかぐや姫」(第一期「かぐや姫」)を結成すると、同年10月25日には、「酔いどれかぐや姫」でデビューするも、結成から1年半後に脱退し、地元の銀行に就職したという、森進一郎(もり しんいちろう)さん。

今回は、そんな森進一郎さんの、「かぐや姫」脱退理由、脱退後、現在についてご紹介します。

森進一郎

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森進一郎のプロフィール

森進一郎さんは、1950年1月9日生まれ、
大分県の出身、

血液型はO型

学歴は、
大分上野ヶ丘高校卒業

ちなみに、「森進一郎」は本名です。

森進一郎は高校時代に大島三平とピーター・ポール&マリーなどのコピーバンドとして活動していた

森進一郎さんは、思春期にベンチャーズやビートルズの曲を聴いて衝撃を受けると、大分上野ヶ丘高校に進学後は、コーラス部に所属したそうですが、

そこで、先輩の大島三平さんと出会うと、コーラス部での活動と並行して、ピーター・ポール&マリー(PPM)などのコピーバンドを結成し、ヴォーカルとギターを担当したそうです。

森進一郎は20歳の時に「南高節とかぐや姫」として「酔いどれかぐや姫」でデビュー

そんな森進一郎さんは、高校卒業後は、大学進学のために上京したそうですが、それから1年後の1970年、20歳の時には、大島三平さんに誘われて、南こうせつさんと3人で、「南高節とかぐや姫」(第一期「かぐや姫」)を結成すると、1970年10月25日には、「酔いどれかぐや姫」でデビューを果たしています。

「酔いどれかぐや姫」
「酔いどれかぐや姫」

森進一郎は21歳の時に「南高節とかぐや姫」として「変調田原坂」「ひとり寝のかぐや姫」をリリース

その後、森進一郎さんは、「南高節とかぐや姫」として、

  • 1971年2月5日(21歳)「変調田原坂」
    「変調田原坂」
    この時、「南こうせつとかぐや姫」に改名。
  • 1971年6月25日(21歳)「ひとり寝のかぐや姫」
    「ひとり寝のかぐや姫」

と、シングルを発表すると、

1971年6月25日には、アルバム「レッツ・ゴー! かぐや姫」もリリースするほか、全国ツアー、そして、地元ラジオ局の番組や歌番組への出演、

さらには、1970年~1971年には、仮装バラエティ番組「桂三枝のさかさまショー」に準レギュラーで出演し、番組中やエンディングに「酔いどれかぐや姫」を十二単(じゅうにひとえ)姿で演奏したのでした。

森進一郎は21歳の時「南こうせつとかぐや姫」を脱退し地元の銀行に就職していた

しかし、「南こうせつとかぐや姫」は、結成から1年半後、知名度が上がり始めた矢先に解散。

(「南こうせつとかぐや姫」は、1971年8月に解散コンサートを行うと、大島三平さんも地元に帰ったそうです)

というのも、森進一郎さんは、もともと、大学を卒業したら地元で就職すると決めていたそうで、「南こうせつとかぐや姫」脱退後は、大分に戻って地元の銀行に就職したのだそうです。

(「南高節とかぐや姫」はもともと、1年の活動の予定だったという話も)

森進一郎は47歳の時に地元の銀行で同期最速の支店長に抜擢されていた

とはいえ、名前が売れていた分、地元では、

音楽ばかりのやつに銀行マンがつとまるのか

と、周囲の目は厳しく、陰口を叩かれたこともあったそうですが、

森進一郎さんは、それに発奮し、同期で最速の47歳で支店長に抜擢されるなど、銀行員としてのキャリアを重ねたのだそうです。

森進一郎は「かぐや姫」脱退後「神田川」が大ヒットするも後悔はしていない?

ちなみに、南こうせつさんは、1971年8月に「南こうせつとかぐや姫」を解散後、まもなく、伊勢正三さん、山田パンダさんと共に、新たに「南こうせつとかぐや姫」(第二期かぐや姫)を結成し、同年9月25日、シングル「青春」で再デビューすると、

1973年9月20日にリリースした5枚目のシングル「神田川」が160万枚を売り上げる大ヒットを記録しているのですが、

これに対し、森進一郎さんは、

(「脱退したことに後悔はなかったのか」という質問に対し)よくそう聞かれるけど、全くない。自分の中で区切りをつけたから

と、語っています。

森進一郎は40歳の時からアマチュアバンド(「まちびとごっこ」⇒「ディアフレンズ」)で活動している

ただ、森進一郎さんは、音楽が嫌いになった訳ではなかったことから、銀行員として働きながら、自宅でギターを弾くなど、空いてる時間を見つけてはピアノ教室に通っていたそうで、

1991年、40歳の時には、釘宮崇洋さん、松尾恭助さんらと共に、アマチュアバンド「まちびとごっこ」を結成すると、同年には、別宮秀次郎さん、藤井博之さんがメンバーに加わり、

その後、メンバーチェンジを経て、1993年に「ディアフレンズ」に改名すると、以降、様々なイベントに出演するほか、コンサート活動を展開していたのだそうです。

(地元のライブ会場を満席にできるほどの人気を博していたそうで、25年間で延べ6万人近い観客を動員したそうです)

森進一郎は56歳の時に銀行を退職してライブハウス「十三夜」をオープンしていた

そして、56歳の時には、(銀行員としての生活に不満はなかったそうですが)

音楽で飯を食べる生活に挑戦したい

との思いから、銀行を退職して、ライブハウス「十三夜」を大分市にオープンすると、

40~50人で満席になる小さな店だったそうですが、「オフコース」や「ガロ」の元メンバーらも演奏する、知る人ぞ知る店となっていたといいます。

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森進一郎の現在(70代)は?64歳の時にライブハウス「十三夜」を閉店し音楽活動に専念していた

さらに、森進一郎さんは、2015年、64歳の時には、音楽活動に専念するためにライブハウスを閉店し、現在は、大分県内を中心にライブ活動を精力的に行っているといいます。

森進一郎

お読みいただきありがとうございました

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