1969年、フランソワ・トリュフォー監督映画「野性の少年」で、ついに念願の字幕翻訳家デビューするも、まだまだ、字幕翻訳家だけで生活が出来るには程遠く、翻訳や通訳をしていたという、戸田奈津子(とだ なつこ)さんですが、
1976年、フランシス・フォード・コッポラ監督の強い推薦で映画「地獄の黙示録」の字幕翻訳を担当すると、以降、字幕翻訳の依頼が殺到したといいます。
今回は、そんな戸田奈津子さんの、若い頃(字幕翻訳家デビュー以降)から現在までの字幕翻訳映画や経歴を時系列でまとめてみました。
「戸田奈津子の若い頃(下積時代)は?大学からフリー翻訳家時代までの経歴を時系列まとめ!」からの続き
戸田奈津子は33歳の時にフランソワ・トリュフォー監督映画「野性の少年」で字幕翻訳家デビュー
やりたかった”字幕の仕事”になかなか近づけず、不安になるも、翻訳や通訳の仕事をしながら、虎視眈々と機会を伺っていた戸田奈津子さんは、
1969年、33歳の時、「日本ユナイト映画」から依頼を受け、ついに、フランソワ・トリュフォー監督映画「野性の少年」で字幕翻訳家デビューを果たしたそうで、
意気込んで仕事に臨み、清水俊二さんのアドバイスを受けながら、原稿も推敲に推敲を重ねたそうですが・・・
映画の完全版を初めて試写室で観た時には、あまりの下手さに愕然としたそうです。
というのも、字幕は、ただ英文を日本語にするだけではなく、画面に違和感なく調和する日本語訳が必要だそうで、これは、実際にやってみないと分からない感覚だったのだそうです。
「野性の少年」より。
(※「野性の少年」はフランス映画ですが、おそらく、英訳されたものを、戸田奈津子さんが日本語に翻訳したのだと思われます)
戸田奈津子が34歳~39歳の頃は字幕翻訳だけでは食べて行けなかった
そんな戸田奈津子さんは、映画の字幕翻訳家としてデビューしたものの、まだ一人前と認められたわけではなく、字幕翻訳の仕事は年に1~2本程度だったそうで、
それだけでは食べていくことはできず、引き続き、翻訳や通訳のアルバイトを続けたそうです。
(当時、字幕翻訳は男性中心の仕事だったこともあり、女性である戸田奈津子さんには、なかなか仕事が回ってこなかったそうです)
戸田奈津子は40歳の時にフランシス・フォード・コッポラ監督の通訳を務めていた
そんな中、戸田奈津子さんは、1976年、40歳の時、映画「地獄の黙示録」を撮影していたフランシス・フォード・コッポラ監督が来日するにあたり、そのガイド兼通訳を依頼されたそうで、
(フランシス・フォード・コッポラ監督はロケ地のフィリピンとアメリカを往復する中、たびたび来日していたそうです)
映画の音楽を担当する予定になっていた作曲家の冨田勲さんと一緒に、サンフランシスコのコッポラ邸やフィリピンの撮影現場にも同行したのだそうです。
(最終的には、冨田勲さんは契約上のの問題で作品には参加できなかったそうです)
フランシス・フォード・コッポラ監督(左)と通訳を務める戸田奈津子さん(右)。
戸田奈津子は42歳の時にフランシス・フォード・コッポラ監督の強い推薦で映画「地獄の黙示録」の字幕翻訳に抜擢され以降オファーが殺到するようになっていた
そして、1978年(戸田奈津子さん42歳)には、映画「地獄の黙示録」が完成したそうですが・・・
なんと、映画「地獄の黙示録」の字幕翻訳の仕事のオファーが、まだ無名の新人だった戸田奈津子さんのもとに来たのだそうです。
(戸田奈津子さんが後に知ったところによると、実は、フランシス・フォード・コッポラ監督の強い推薦だったそうで、映画配給会社は、新人の戸田奈津子さんにこのような大作を任せたくなかったそうですが、巨匠・フランシス・フォード・コッポラ監督の言葉には逆らえなかったのだそうです)
すると、「地獄の黙示録」は大ヒットを記録したことから、大作の字幕を手がけた戸田奈津子さんには、以降、各社から次々とオファーが殺到したのだそうです。
現在も深い交流があるという、戸田奈津子さん(右から2人目)とフランシス・フォード・コッポラ監督(右端)。
戸田奈津子が40代の時には「E.T.」「戦場のメリークリスマス」「グレムリン」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の字幕翻訳
こうして、字幕翻訳家として広く認められるようになった戸田奈津子さんは、
40代の時には、
- 1982年(46歳)には、「E.T.」
「E.T.」より。 - 1983年(47歳)には、「戦場のメリークリスマス」
- 1984年(48歳)には、「グレムリン」
- 1985年(49歳)には、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
などの映画で字幕翻訳を担当しています。
戸田奈津子が50代の時には「ホーム・アローン」「ターミネーター2」「フォレスト・ガンプ/一期一会」ほかの字幕翻訳
また、50代の時には、
- 1988年(52歳)には、「危険な情事」
- 1990年(52歳)には、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」
- 1990年(54歳)には、「ホーム・アローン」
- 1991年(55歳)には、「ターミネーター2」
- 1993年(57歳)には、「シンドラーのリスト」
- 1994年(58歳)には、「フォレスト・ガンプ/一期一会」
- 1995年(59歳)には、「マディソン郡の橋」
などの映画で字幕翻訳を担当しています。
戸田奈津子が60代の時には「タイタニック」「ハリー・ポッターと賢者の石」「ロード・オブ・ザ・リング 」シリーズほかの字幕翻訳
そして、60代の時には、
- 1996年(60歳)には、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」
- 1997年(61歳)には、「タイタニック」
- 1998年(62歳)には、「アルマゲドン」
- 1999年~2005年(63歳~69歳)には、「スター・ウォーズ(新3部作)」
- 2001年(65歳)には、「ハリー・ポッターと賢者の石」
- 2001年(65歳)には、「ロード・オブ・ザ・リング」
- 2002年(66歳)には、「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」
- 2003年(67歳)には、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」
- 2004年(68歳)には、「ビッグ・フィッシュ」
- 2005年(69歳)には、「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」
などの映画で字幕翻訳を担当しています。
戸田奈津子が70代の時には「M:i:III」「ダイ・ハード4.0」「007 スペクター」ほかの字幕翻訳
さらに、70代の時には、
- 2006年(70歳)には、「M:i:III」
- 2007年(71歳)には、「ダイ・ハード4.0」
- 2009年(73歳)には、「アバター」
- 2010年(74歳)には、「ラブリーボーン」
- 2012年(74歳)には、「バトルシップ」
- 2013年(75歳)には、「キャプテン・フィリップス」
- 2015年(77歳)には、「007 スペクター」
- 2016年(78歳)には、「インデペンデンス・デイ: リサージェンス」
- 2017年(79歳)には、「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」
などの映画で字幕翻訳を担当しています。
戸田奈津子の現在(80代)は?通訳は引退していた
そんな戸田奈津子さんは、80代になってからも、
- 2018年(80歳)には、「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」
- 2021年(85歳)には、「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」
- 2022年(86歳)には、「トップガン マーヴェリック
- 2022年(86歳)には、「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」
で、字幕翻訳を担当しているのですが、
2022年には、字幕翻訳のかたわら30年間続けてきた通訳の仕事のみ、引退することを発表しています。
ちなみに、戸田奈津子さんは、その理由について、
年をとると言葉がとっさに出てこなくなり、一生懸命に話している映画スターに申し訳ないから
と、明かしているのですが、
通訳は私の望んだ仕事ではないから未練はありません。字幕翻訳が本業だから
とも語っており、字幕翻訳の方は現在も現役バリバリで活動中です。
(記者会見などの席での通訳は引退したものの、ハリウッドスターとの個人的な交流は現在も続いているそうです)