1962年、18歳の時、「鍛冶屋のルンバ」で歌謡歌手としてデビューすると、以降、「何も云わないで」「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何んでもないわ」「愛は惜しみなく」 など、ヒットを連発し、テレビ創成期の1960年代に活躍した、園まり(その まり)さん。
そんな園まりさんのプライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は、園まりさんは結婚していたのか、また、片思いしていたという渡哲也さんについて、破談になったという元カレについて、恋心を抱いていたという平尾昌晃さんについてもご紹介します。
「【画像】園まりの若い頃は三人娘!「何も云わないで」「逢いたくて」ほかヒット曲一覧!」からの続き
園まりの夫は?結婚している?
園まりさんは、過去に一度も結婚したことがなく、生涯、独身でした。
また、園まりさんは、男女関係の浮いた噂がなく、長期的に交際していたパートナーの情報も見つかりませんでした。
園まりさんは、結婚しなかった理由について明かしていないため、詳しいことは不明ですが、
2015年、「週刊女性PRIME」のインタビューで、
実は、父が亡くなる2か月前に、私にこう言ったんです。“毬子(園まりさんの本名)、歌は毬子の天命だから歌うことを忘れちゃいけないよ”と……。父の死で気づくことも多く、大切なものが見えてきた気がします
と、語っており、それほど、歌手一筋だったのかもしれません。
園まりは渡哲也に片思いしていた
ただ、園まりさんは、過去にトーク番組「徹子の部屋」に出演した際、俳優の渡哲也さんに本気で片思いをしていたことを明かしています。
園まりさんは、1966年、21歳の時、主演映画「逢いたくて逢いたくて」での共演で、渡哲也さんと知り合ったそうですが、相手役だった渡哲也さんに本気で恋をしてしまったといいます。
(2人が交際していたかは不明です)
また、園まりさんは、1967年に公開された映画「夢は夜ひらく」でも、再び、渡哲也さんと共演しています。
(園まりさんは、1966年、シングル「逢いたくて逢いたくて」をリリースすると大ヒットを記録しており、このことを受け、同名の映画が作られました)
園まりさんと渡哲也さん。
園まりは24歳の時に恋愛するも破談していた
その後、園まりさんは、1969年、24歳の時には、「愛のきずな」という映画に出演しているのですが、この頃、(お相手の方は不明ですが)恋愛をしていたそうですが、その後、破局したそうで、
園まりさんは、インタビューで、
このころ(映画「愛のきずな」の撮影中)、恋愛している最中だったんです。本当に初めての恋愛で、人生の転換期を迎えていました。この映画も新たな挑戦の第1歩で、私自身の転機になればと、思っていたころでした。
と、恋も仕事も順調満帆だったことを明かしているのですが、
自分であって、自分でないような日々が続きました。何か置き忘れたような、空を見上げると、雲が覆いかぶさって来て、圧迫されるような、ストレスとプレッシャーの日々でした。
この映画のころ、自分の転機にと頑張った。でも、破談しちゃった。恋愛ご法度の時代でしたから。その後、しばらく芸能界から姿を消して、お店をやっていた時期もありましたね。
と、語っています。
園まりさんが結婚しなかったのは、こうした悲しい恋愛を経験したことも一因だったのかもしれません。
園まりは作曲家の平尾昌晃にも片思いしていた?
また、関係者によると、園まりさんは、返還前の沖縄に仕事に行った際、しきりに、男性モノのお土産(時計、ネクタイ、ハンカチなど、外国製の高級品)を買い込んでいたそうで、「誰かにあげるの?」と尋ねると、「ナイショ」と答えていたといいます。
そして、何日か経った後、園まりさんは、沖縄で購入した物が平尾昌晃さんへのプレゼントだったこと、平尾昌晃さんに恋心を抱いていたことを打ち明けたといいます。
(平尾昌晃さんが人気歌手から作曲家に転身した頃だったそうです)
ただ、2人が交際していたかどうかは不明です。
園まりに子供はいない
そんな園まりさんは、生涯、独身だったことから、子供はいません。
園まりさんは、子供を持たなかった理由について明かしていませんが、それほど、歌手一筋だったのかもしれません。
「園まりの死因は病気(急性心不全)!ガンで闘病生活を送っていた!」に続く
1962年、18歳の時に、「鍛冶屋のルンバ」で歌手デビューすると、次々とヒットを連発し、囁(ささや)くように語りかける独特の歌唱法で人気を博した、園まり(その まり)さんですが、 2007年には、乳ガンが判明し、手術は無 …