1966年、ビートルズが初来日した際には、日本で唯一の単独インタビューに成功するほか、エルビス・プレスリーに結婚の証人になってもらうなど、数々の海外大物アーティストと親交したという、湯川れい子(ゆかわ れいこ)さんですが、
実は、26歳の時に、体調不良で病院に行くと、「お酒の飲み過ぎによる肝炎」(慢性肝炎)と診断され、52歳の時には、「C型肝炎」と診断されていたといいます。
今回は、そんな湯川れい子さんが「C型肝炎」と診断されるまでの経緯、その原因、免疫力を上げるために実践したという「音楽療法」、そして現在についてご紹介します。
「湯川れい子は再婚相手(2番目の夫)に借金30億と不倫で子供を作られ家出されていた!」からの続き
湯川れい子は26歳の時に「お酒の飲み過ぎによる肝炎」(慢性肝炎)と診断されていた
湯川れい子さんは、ラジオDJとして絶大な人気を誇っていた26歳の時、クリスマスに仕事の打ち上げでお酒を飲むと、目が真っ黄色になったそうで、
医療機関を受診すると、
お酒の飲み過ぎによる肝炎
と、診断されたそうです。
そこで、湯川れい子さんは、お酒をやめたそうですが、それでも、顔中に黄疸が出たり、突発的な激しい頭痛などの症状に苦しめられ、腎盂炎(じんうえん)で40度以上の高熱が出て緊急入院したこともあったそうです。
(この当時は、C型肝炎ウィルスはまだ発見されていなかったそうです)
湯川れい子は52歳の時にC型肝炎ウイルスが判明していた
以降、湯川れい子さんは、27年に渡り、原因不明の症状に悩まされたそうですが、
1988年、52歳の時、医師から、
湯川さんの血液から、C型肝炎ウイルスが発見されました
と、言われ、
ついにC型肝炎であることが判明したそうです。
(C型肝炎ウイルスに感染すると、多くの場合、まず、慢性肝炎になり、放っておくと、長い年月をかけて肝硬変、肝ガンへと進行するそうですが、肝炎は自覚症状が乏しく、知らぬ間にガンまで進行することがあるそうで、そのため、肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれているそうです)
ちなみに、C型肝炎ウイルスの主な感染原因は、血液によるもので、1980年代まで、輸血用の血液にC型肝炎ウイルスが混ざっていることを知らずに、多くの患者に使用されていたことが判明しているのですが、
実は、湯川れい子さんも、21歳の時、急性腹膜炎で入院し、手術する前に輸血を受けていたそうで、その際、C型肝炎ウイルスを持つ血液を輸血されてC型肝炎に感染したのでは、と考えられたそうです。
(湯川れい子さんは、1976年には息子さんを出産しており、息子さんへの感染が心配だったそうですが、大丈夫だったそうで、ホッとしたそうです)
湯川れい子はC型肝炎ウイルスが判明するも治療法がなかった
ただ、C型肝炎ウイルスが分かったとはいえ、当時はまだ、治療法がなく、
主治医には、
C型は、どんな名医も妙薬も救えない
と、言われたそうで、
とにかく、無理はせず、睡眠をよく取り、お酒は控えるように助言されたそうで、
湯川れい子さんは、お酒をやめ、地方の仕事は前日から宿泊し、8時間はベッドにいるように努めていたそうですが、そんな中、
生涯添い遂げるつもりだった夫が多額の借金を抱えたうえ、不倫して子供まで作って家出してしまい、さらには、20年来の付き合いで信頼していた主治医が胃ガンで急死するなどの出来事が次々と起こったそうで、
湯川れい子さんは、深い悩みと苦しみで眠れず、体調を崩し、歩く時には杖が必要になるほどになったのだそうです。
湯川れい子は「音楽療法」で免疫力をアップさせていた
そこで、湯川れい子さんは、薬に頼らず、免疫力を上げようと、様々な健康法(民間療法)を試したそうですが、その中には、アメリカでおよそ70年前に始まったという「音楽療法」があったそうで、
まず、本当に共感できる悲しい歌を聴き、それで涙を流し(落ち込んでいる自分の気分と同じ悲しい曲を毎日聴き続けたそうです)、さらには、音楽のリズムに合わせて夜の公園を歩き、お風呂では発声練習もしたそうで、
湯川れい子さんは、
心地よい音楽を聴けば、気持ちが切り替わり、心臓のリズムや神経のバランスも整う。大きな声を出せば怒りや悲しみが消えていく。3、4ヶ月後に体調は戻り、精神的にも強くなれました
と、語っています。
湯川れい子は70歳の時にC型肝炎が完治していた
そんな中、湯川れい子さんは、C型肝炎に関して、新たな主治医と出会い、定期的に診察を受けるようになったそうで、やがて、週1回の注射でウィルスを排除するというC型肝炎の治療薬「ペグ・インターフェロン」が、日本で承認され、2006年6月から始めたそうですが、
(1992年にも、C型肝炎のウイルスを撃退する治療薬「インターフェロン」が日本でも承認されたのですが、週3回の注射が必要だったことから、もっと使いやすくなるまで待っていたそうで、もちろん、肝硬変にはなりたくないため、70歳になる前にはこの治療を受けようと思っていた矢先のことだったそうです)
治療中は、注射後の体のかゆみ、熱っぽさ、だるさに悩まされたそうで、注射は48回の予定だったそうですが、数回を残してやめたのだそうです。
ただ、2007年、70歳の時には、完治の目安となる5ヶ月後の血液検査でウィルスが検出されず、C型肝炎は完治したそうで、
湯川れい子さんは、
通院する朝、お化粧をしている時です。自分の中で『治ったよ』とかわいい声がしました。『体の声を信じたい、これ以上の治療は体に悪いかも』と感じました。主治医はびっくりでしたが、私の考えを尊重してくれました
と、語っています。
そんな湯川れい子さんは、その後、講演会などで元C型肝炎患者としての体験を語る活動もしているそうで、
握手やキスで感染するのではないかという偏見や、薬害肝炎の問題は、国や製薬会社、社会の無関心・無責任によるところが大きい。
この問題への警鐘は、鳴らしすぎることはないでしょう。今後も、私なりにこうした問題への注意喚起を続けていきたい
と、語っています。
1960年、24歳の時、ジャズ評論家として「スイングジャーナル」誌で執筆を開始すると、以降、ラジオのDJ、ワイドショーのコメンテーター、作詞家、翻訳家と幅広い分野でマルチな才能を発揮している、湯川れい子(ゆかわ れいこ) …